山河遊歩は1000号を越える予定 2023年6月7日(水)                                                                                                 

 今日の山河遊歩は888と、8が並んでいます。あと112日書くと、1000号を越えます。今年の12月31日まで、この山河遊歩という名称で日々の記録を書き続けようと思っているので、無事に1000号を越えるのが分かってきました。同じ名称で1000号を書くのは、今回が初めてです。

 かつて、小学校の先生を40年近くしているとき、いろいろなお便りを書いてきたのですが、こぎつね小学校で、1年~6年まで6年間持ち上がった時に書いていた学年便り「まほろば」の250号が最長記録です。また、こぎつね小学校で、理科専科教諭を6年間続けたこともあったのですが、その時書いた「まほろば科学館だより」は、232号まで書きました。さらに、学級便りも、毎年いろいろな名称をつけて書いていたのですが、いくら頑張って書いても1年間では100号に少し届かない号数のお便りでした。

 小学校を退職(2016年3月末)の9ヶ月前(副校長に在職中)から書き始めた「晴歩雨読」は、999号まで続きました。2015年7月17日~2020年12月31日までの約5年間の記録です。この晴歩雨読は、毎日書いていませんでした。小学校(副校長)退職後の生活は、午前中は幼稚園に行き、午後から4校ほどの大学で非常勤講師をしているという、かなり忙しい生活をしていた頃の記録です。

 そして、現在の「山河遊歩」は、2021年1月1日~2023年12月31日までの記録です。今年の年末まで書くつもりです。山河遊歩は、幼稚園での保育や、大学の講義などを終えてから(最初の1月と2月は、幼稚園と大学へ行っている)の記録です。主に、自治会会長や副会長のしごとをしている頃の記録で、コロナ感染拡大の期間と重なります。今回は、3年間毎日書いているので、1000号を少し越えます。自治会しごとは、それなりにいろいろな活動があって気分的に忙しいのですが、コロナ感染拡大と重なっていたので、中止になる行事も多くありました。コロナ感染に気を遣いながら、活動を進めていました。幼稚園、大学へ行くしごとは終えていたので、自治会しごとをしながら、フィールドワークをして自然の記録ができました。小学校で理科の先生をしている頃よりも、自然についてずっと詳しくなりました。子ども達に申し訳なかったなと、思っています。

 「山河遊歩」の次の「○○○○」(未定)は、2024年1月から、また3年間書こうと思います。コロナ感染の拡大も取り敢えず終息し(自分は今頃感染しているのですが)、自治会のしごとも終えて、フィールドワークに集中できる3年間の記録になればいいなと思います。「山河遊歩」の3年間でも、かなりの虫、花、鳥などの写真記録ができているので、さらに詳しい記録にしたいと思います。

 

 今日の午前中は、公園の花の世話をしたついでに、草取りをしました。広い地面の周囲に草が生えているので、クワで地面を少し引っ掻きながら、草を浮かせて、それを熊手で集めます。熊手を使って、浮いた草をあちこちと地面を転がしている間に、根っこ周りの土が落ちて草だけになっていきます。それをゴミ袋に集めました。

 午後からは、家のメダカの水替えをしました。メダカ水槽を二つ並べて、汚れると隣に移動させる方法をとります。かつてこぎつね小学校で、5年理科のメダカの学習をしているときは、いつもこの方法で、卵の採集をしていました。

 

 仮想研224 斎藤孝『14歳からの「論語」』 を読み終えました。入門書として、とても分かりやすく書いてくれていました。ありがたいです。いくつか、書き出しておくことにします。

・「知者は迷いがなく、人格に優れた仁者は憂いがなく、勇者はおそれがない。」

・「教育は人を選ばない(どんな種類の人間も教育によって向上する)。生まれなど問題ではなく、人は勉学や努力によって何者にもなれる。」

・「自分が望まないことは、人にもしないように。」「複雑になっていく人間関係の中で、唯一ブレない方針があるとしたら、それは思いやり=(恕)だ。」「自分がされて嫌なことを誰かにしたら、それがいじめ。」

・「私は15歳で学問に志し、30にして独り立ちした。40になって迷わなくなり、50にして天命を知った。60になり人の言葉を素直に聞けるようになり、70になって思ったことを自由にやっても道を外すことはなくなった。」 

・「人生に、まだ早い、もう遅い、はないのです。」

・「私は毎日、3つのことについて反省する。人のために誠心誠意考えてあげられたか。友人とのつきあいで信(言葉と行いが一致する)であったか。しっかり身についていないことを受け売りで人に教えたのではないか。」