ジョウビタキの雄の写真を撮る 2023年3月7日(火)
今日は、大阪市立中央図書館に行く日です。朝5時30分に起きて、朝から「きつねTのこぎつねだより」と「こぎつねさんぽに出かけよう」のブログに山河遊歩と生き物の写真をアップしました。次に、9時過ぎには、昨日の山河遊歩を仕上げました。出かける前に、昨日、公園のプランターにナメクジ退治の薬を撒いていたので、その様子を見に行きました。可哀想に、あちこちのプランターでナメクジが5匹ほど死んでいました。落ちていた木の枝で取り除きました。効果があるようなので、今日もさらに、まだ被害のないビオラを植えているプランターにも、ナメクジ退治薬を撒きました。
9時30分に家を出発しました。遊歩487 大国町駅~中央図書館~難波~高津神社~谷町六丁目駅 まで歩きました。今日は、西長堀駅まで地下鉄に乗らないで、途中の大国町駅で降りて図書館まで歩きました。とても暖かい日です。あちこちの保育園、幼稚園の2、3歳児たちが、先生方に手をつないで、街の中をお散歩していました。どの子も、とても楽しそうでした。直ぐ横を通る車は、スピードを落として通ってくれていました。
◆図書館では次の4冊を借りました。
①丸山宗利『昆虫こわい』幻冬舎新書2017
②佐藤智恵編著『コロナ後 ハーバード知日派10人が語る未来』新潮新書2021
③山岸明彦・高井研『対論!生命誕生の謎』インターナショナル新書2019
④五木寛之『はじめての親鸞』新潮新書2016
◆植物は、ツタバウンラン、ニゲラ、ネモフィラ、マンサク、サンシュユ、ツバキ、ウメ(高津梅園)、などの写真を撮りました。
◆昆虫は、ミツバチを見ました。
◆鳥は、ジョウビタキの雄の写真を、高津梅園で撮ることができました。ジョウビタキの雄は、とてもきれいな色をしていました。
◆途中で出合った神社や石碑は、赤手拭稲荷神社、高津神社、大阪市歌、郡戸王子(第3番目)、「生は偶然、死は必然」(お寺の前に掲示されている言葉)などです。高津神社は、近くを何度も歩いているのですが、境内に入るのは初めてです。
赤手拭稲荷神社・・「当社の具体的な創建時期は不詳となるが、かつて、狐に荷物を盗まれてばかりしてしまう源三という堺の魚屋がおり、その源三が紅染の手拭いを祠前に供え、「これ以上、狐に荷物を取られない様に」と祈願したことから「赤手拭稲荷」と言われているという。」「古典落語「ぞろぞろ」の話に出てくるお稲荷さんが当社のことだと言われている。」(神社人)
高津神社・・「当宮は浪速の地を皇都(高津宮)と定められ大阪隆昌の基を築かれた仁徳天皇を王神と仰ぐ神社であります。仁徳天皇が高殿に昇られて人家の炊煙の乏しいのを見られて人民の窮乏を察し直ちに諸税を止めて庶民を救済されました御仁政はあまねく国民の敬慕する処であります。その御仁政を慕い平安期の初期清和天皇の貞観八年(866年)勅命(天皇の命令)によって旧都の遺跡を探索して社地を定め社殿を築いてお祭りしたのを創始といたします。以後世々皇室を始め時の幕府等の度々の御造営寄進を重ねて浪速津の守護神と仰がれ御神威輝き渡ったのでありますが、その後700年を経た正親町天皇の天正十一年(1583年)豊臣秀吉が大阪城の築城に際し比売古曽社の現在地に御遷座(神社の御神体が移ること)になって今日に及んでおります。仁徳天皇の徳政を敬い大正十年に制定された大阪市歌にも「高津宮の昔より代々栄えをかさねきて民のかまどに立つけむりのにぎわいにまさる大阪市・・・」と歌われています。昭和二十年三月の第二次大戦の戦火を浴び神輿庫を一つ残して社殿ことごとく焼失しました。しかし戦後氏子を始め崇敬の厚い奉賛により昭和三十六年十月社殿以下ことごとく復興完成を見ました。」(高津神社ホームページ)