原稿書きは1日1頁しか進まない 2022年11月20日(日)
11月も3分の2が終わりました。もうすぐ12月が迫ってきています。原稿書きは、12月末までには仕上げてしまいたいと思っています。毎日1ページずつでも、前に進めたいと考えています。理科の授業をしているようなつもりで原稿を書き進めることができるので、原稿を書く作業はとても楽しみです。逆に終わってしまうのが寂しくなります。全部で60ページあり、現在15ページ分書き進めています。あと45ページなので、一日1ページでも、なんとか終えることができるのではないかと思っています。3月末の締め切りまでには、まだかなり日数があり、早目に終えることはできます。
次の手帳の準備が出来たので、次年度用の新たな書き込み方を考えていこうと思います。予定は、月刊ページに書いて、実際に行動したことを、1週間見開きのページに記録していくようにしています。今は、原稿書きはオレンジ色のマーカー、歩きに出た遊歩の時間は黄色のマーカー、本を読んだ仮想研の時間は水色のマーカーで囲むようにしています。自治会のしごとは、赤ペンで書き込んでいます。1週間分の毎日の時間の使い方が一目で分かるようになっています。次年度は、また少し新しい書き方の工夫をしたいなと思っています。これから1ヶ月かけて、工夫していくことにします。
午前中は、原稿を書きました。今日は、1ページと半分を書きました。内容が難しいところなので、数行書くのにも時間がかかります。あと1ページ半を書けば、予定していたところが終わります。明日は、仕上げてしまいたいと思っています。
午後から歩きに出ようと思っていたのですが、どうも体がしんどくて、今日は歩きに出ない一日になってしまいました。夢伽の珈琲豆半額の売り出し日だったので、珈琲豆を買いにだけ出かけました。
本を読み終えました。仮想研104 斎藤孝『現代語訳福翁自伝』です。すごい天才だと分かります。略歴は、14歳で初めて読書する。21歳蘭学を志して長崎に出る。22歳長崎を去り大阪の緒方洪庵門下に入る。24歳緒方塾塾長となる。25歳江戸に出て蘭学塾を開く。26歳英語習得を志す。27歳咸臨丸にて渡米。帰国後幕府の翻訳方になる。29歳随欧使節の一行に加わりヨーロッパに渡る。33歳『西洋事情』を著す。34歳二度目の渡米。35歳塾名を慶應義塾とする。39歳『学問のすすめ』を著す。65歳『福翁自伝』脱稿。66歳死去。
14歳から本を読み始めて、『孟子』『論語』『詩経』『書経』を読み、さらに、『蒙求』『世説』『左伝』『戦国策』『老子』「荘子」『史記』『漢書』『後漢書』『晋書』『五代史』『元明史略』を読んだようです。『左伝』は15巻のうち、たいがいの生徒は3,4巻でおしまいにしてしまうところを、諭吉は、全部通読して、およそ11回読み返して、面白いところは暗記していたそうです。21歳で長崎に出向いて蘭学に初めて出会い、その1年後、22歳から緒方洪庵先生のもとで、蘭学の力を付けていきました。25歳に江戸で蘭学塾を開くが、これからは英語が必要だと分かり、英語とオランダ語の対訳の辞書を手に入れて、自分で英語を学び始めました。27歳には咸臨丸に乗ってアメリカへ行き、29歳にはヨーロッパに行き、現地でいろいろ多くを学んでいます。明治政府のしごとにはつかないで、慶應義塾と塾名を変えて、大学教育の基礎を作ったということです。