今年の遊歩が200回を超えた 2022年11月5日(土)

 

 今日もいい天気です。最近、朝は寒くなり、セーターを着てパソコン作業をするようになりました。昨夜11時頃、三軒向こうの家に救急車が来ていたので心配しながら寝たのですが、朝、ウサギのポンタと庭に出ているとき、その家の方がゴミ(空き缶)を、家の前に出しているのを見かけて、声をかけることができました。鼻血が出て止まらなくなったので救急車を呼んだとのこと、処置をしてもらって帰ってきていることが分かり、ホッとしました。お年寄りが多い町会なので、救急車が来るととても心配になります。

 昨日の遊歩は400号でした。今年の1月は、遊歩200号から始まっていて、今日で今年のフィールドワークが200回を超えました。今のペースで歩きに出てると、今年は昨年より多く多く240回ほどになりそうです。しかし、今年は200回歩いたと言っても近くばかりなので、次年度、特に自治会長を終える4月から、もう少し遠くの地域を歩きたいと思います。旅費はかかるのですが、元気な間に歩いておくようにしたいものです。もう、海外旅行には行けそうにないので、まだ行っていない日本各地へは、行ってみたいなと思います。

 今日は、金岡公園で北区まつりが行われているので、金岡公園を通って、大和川南堤防を歩こうと思います。遊歩(401) 家~金岡公園~狭間川~大和川南堤防~浅香山駅 を歩きました。北区まつりは、とてもたくさんの人が集まっていました。金岡公園をぐるっと一周してから、狭間川沿いを歩いてカモを探しました。JR浅香駅の近くにある浅香山稲荷神社に、初めて立ち寄ってみました。いつも横を歩く時、見てはいたのですが、少し小高いところにあって行っていませんでした。これからは時々行って、お参りしようと思います。

鳥は、狭間川にコガモ、カルガモがいました。大和川には、マガモ、アオサギ、コサギがいました。稲刈りが終わった田んぼにスズメがたくさ集まっていました。大和川には、昨年もたくさんのカモ達がやってきていました。まだ、10羽ほどのマガモの姿しか見られませんが、これからたくさんやってくると思います。

昆虫は、ヒメアカタテハ、ウラナミシジミ、ササキリ、ショウリョウバッタの写真を撮りました。写真には撮れていないのですが、アゲハ、アオスジアゲハも飛んでいました。昼間の気温は、20度ほどになり、日差しが強いので暖かく感じました。

植物は、白花のタンポポ、タンポポ、マメグンバイナズナ、ヒナギキョウ、ムラサキウマゴヤシ、ハナカタバミ、などの写真を撮りました。秋に白花のタンポポが咲いているのは、初めて見ました。また、ヒナギキョウが、かわいい花を咲かせていました。

 

 浅香山稲荷神社の「案内板」をネットの文字に書いて下さっているブログ(阪本研究所)がありました。そこから引用させていただくと、「昔、この辺りに住之江の浦と連なる小さな湾で、そこに小島が出来、遠く推古天皇の御代(五九○年代)聖徳太子御巡遊の折、白髪の老翁が太子に、昔より此処に埋る香木有り、と伝えて去る。太子が不思議に思い、掘らせたところ、果たせるかな地中より幾千年も経たと思われる朽木が出て、これを焼かせたところ馥郁優なる香りたなびき、その時太子が「浅からぬ香り」と仰せられて、以後この地を”浅香の浦”と呼び、その香木で老翁の像を刻みここにまつられたのがこの神社の創始と言われています。後、ここに城を築いて、この神像を稲荷大神と仰ぎ祭られてきた。この稲荷大神とは宇迦之御魂大神と言い。生活の大本を司り福徳盛運の守護神として伊勢外宮にます豊受大神と異名同神と言われます。時移り世が代わって宝永年間(一七○四年)、旧大和川の水害から流域を守るために大久保大隈守宰領として流を変える工事の折、この地の狐塚の所に至り、どうしても工事が進まず、前日掘った所が翌日は又元に復し、人夫達は恐怖におののき手出しも出来ず、宰領奉行も神威を畏み、計画を変えこの狐塚を避けることによって大工事を完成させるに至りました。後、宰領大隈守は神威を怖れこの狐塚の所に神殿を建立し、現在に至っております。尚、現神殿は、昭和五十一年七月に改築完成されたものです。神前の一対の石灯籠は大久保大隈守の寄進にかかり、又自然石の大手洗鉢は当時の川口奉行等の寄進によるものです。」(浅香稲荷神社由来案内板より)