日本語の成立と文学について 2022年10月28日(金)

 

 今日は、山河遊歩が、666号と、6が3個並びました。昨日、この山河遊歩をあと1年間続けることを決めました。来年の12月末まで書き続けると、1095号ぐらいになることが見えてきました。1000号を越えるのは、これまで先生をしていた頃いろいろなお便りを書いてきていて、初めてのことです。あと1年頑張って、1000号を越えるようにしたいと思います。比叡山の1000日回峰行も、1000を目標としています。1000というのは、少し大きな目標となります。先生をしていた頃は、一年間で100号が学級便りの目標でした。一度だけ、こぎつね附属小学校で6年間持ち上がることができた時の学年だよりが250号まで続けることができました。「山河遊歩」の前の「晴歩雨読」は、4年間で999号書いたのですが、毎日書いたわけではなかったので、今回初めて、毎日書いて1000号越えとなりそうです。

 

 公園の花の世話をしました。そろそろ、プランターのトレニアが終わり始めています。10個ほどのプランターのあちこちのトレニアをきれいに抜き取って、雑草も取り去って、土を耕したいと思います。その後、パンジーと、ビオラを植えていきます。いくつかの種類の花を寄せ植えのように植えているので、一気に花が無くなることはありません。今は、マリーゴールドとジニアが大きく育って、頑張ってくれています。ペンタスやナデシコもまだしばらく咲きそうです。

 

 今日は、歩きに出るには絶好の日だったのですが、午後から歩きに出ませんでした。家で、部屋の整理をしたり、本を読んだりしていました。

 仮想研(095) 齋藤孝『日本語力で切り開く未来』 を読み終えました。「2022年度以降、高校の国語は、実社会に特化した「論理国語」と、言語文化に特化した「文学国語」に区分され、科目として分割されることが決まっています。そうなれば、実社会で即役に立つように見える論理国語に重要性を置くようになるのは目に見えています。そして、それは必然的に文学国語の軽視を助長するのでしょう。」という、危機感からの書き出しでした。森鴎外の『舞姫』、夏目漱石の『こころ』、中島敦の『山月記』など、とても重要な日本語のお手本のような文学が、軽視されるということです。

 斎藤孝さんは、まず、紫式部の『源氏物語』、清少納言の『枕草子』、琵琶法師が語り広げた『平家物語』、吉田兼好『徒然草』、さらに遡って、『万葉集』、『古事記』の日本語原点の習得の重要性を説かれていました。

 ドイツ語の発展は、マルティンルターが、ギリシャ語やラテン語で書かれていた聖書を誰もが読めるドイツ語で表したことに始まり、その後ゲーテのような大文豪が、ドイツ語で優れた文学作品を残しドイツ語が発展していきました。さらに、その後、カント、ヘーゲル、ニーチェ、ハイディッガーなど、歴史に名前を連ねるような哲学者が続き、ドイツ語を完成させていきました。文学や哲学が、ドイツ語を高めてきたということです。

 まず、現代の我々がなんとか読める、福沢諭吉の『学問のすすめ』『福翁自伝』、樋口一葉『たけくらべ』『大つごもり』、徳富蘇峰『吉田松陰』、幸田露伴『五重塔』、夏目漱石『こころ』、三遊亭円朝作の『牡丹灯籠』などに触れながら、口語文の基礎にある文語体を知ることが、日本語の骨格を知ることにつながると書かれていました。