家から住吉大社まで歩く 2022年2月21日(月)

 

 朝は寒いのですが、いい天気です。昨日よりさらに気温が低くなるようです。昨日は、昼間の気温は11度あったのですが、風が強くて寒い一日でした。

 日々の生活の記録を、見開き一週間の手帳に書いています。先週、月~日曜日の一週間を見ると、遊歩として歩きに出た日が4回、仮想研として理科的な記述をしたのが4回と、まずまずの生活をしていました。山歩きには行けませんでした。今週は水曜日が天皇誕生日の祝日ですが、今週も最低4回は、歩きに出ようと思います。まず、今日は寒いけれど歩きに出て、明日は図書館なので歩いて、これで週の始め2日間歩くことになります。今週の後半は暖かくなるような予報が出ています。

 

 今日は、住吉大社まで歩きに行きました。遊歩(226) 家~大和川南側堤防~紀州街道~住吉大社~住吉東駅 を歩きました。気温は昨日より3度低い8度です。冷たい北西の風が強くて、今日もとても寒いフィールドワークになりました。大和川の堤防沿いを歩いている人は、ほとんどいませんでした。今日は、大和大橋を渡って紀州街道を北上しました。紀州街道は、江戸時代は海岸沿いの道で、松原が続く風光明媚な所だったようです。当時の面影は残っていないのですが、南北に細長く続く上町台地から、西側へと下った海岸線を通っています。住吉大社も上町台地から下った海岸沿いにあり、4つの拝殿は海に向かって建てられています。今日は、その住吉大社の4つの拝殿それぞれに、お参りしました。

 

 住吉大社についてネットで調べてみました。

「住吉大社の祭神は、伊弉諾尊が禊祓を行われた際に海中より出現された底筒男命・中筒男命・表筒男命の三神、そして当社鎮斎の神功皇后を祭神とします。仁徳天皇の住吉津の開港以来、遣隋使・遣唐使に代表される航海の守護神として崇敬をあつめ、また、王朝時代には和歌・文学の神として、あるいは現実に姿を現される神としての信仰もあり、禊祓・産業・貿易・外交の祖神と仰がれています。住吉大社は、第十四代仲哀天皇の后である神功皇后 (じんぐうこうごう) の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりがあります。神功皇后は、住吉大神の加護を得て強大な新羅を平定せられ無事帰還を果たされます。この凱旋の途中、住吉大神の神託によって現在の住吉の地に鎮斎されました。のちに、神功皇后も併せ祀られ、住吉四社大明神として称えられ、延喜の制では名神大社、二十二社の一社、摂津国一之宮、官幣大社に列せられています。」(住吉大社ホームページ)

 

大和川堤防沿いで、ヒヨドリ、ムクドリ、モズ、ツグミを見かけたので、写真を撮りました。ヒヨドリとムクドリは、センダンの実を食べていました。とくにムクドリは、集団でセンダンの大きな木にやってきてしきりに実を食べて、下にもたくさん実を落としていました。モズは、枝に一羽でとまっていました。ツグミも一羽で、地面の上を歩いて餌をさがしていました。大和大橋周辺の河原には、多くのカモメが見られました。

金岡公園の近くに広がる造成地の中に、ナルトサワギクだと思うのですが、一株だけキク科の植物が花を咲かせていました。