毎日フィールドワークする生活の記録 2021年8月4日(水)
5時に起きて外に出ると、太陽はまだのぼっていません。6時前になっても、まだ日の出すぐなので、公園は住宅の影の中です。公園が日陰の間に、プランターの花の世話をしました。花柄や雑草を取ると、すっきりしました。秋まで、新たに苗を植えなくても花が咲き続けそうです。猛暑をうまく乗り越えるように、お世話をしていきます。今日は、午前中ピアノの調律、昼間に、道の駅しらとりへ野菜を買いに行き、午後から孫がきます。
◆毎日、この山河遊歩を書く以外に、手書きの日記を付けています。5年日記の4年目ですが、1年分残して4年間で終わり、来年1月から10年日記を書いていこうかなと思い始めました。最近、葬儀が続いていて、自分の年齢に近い方が亡くなっているので、先を考えて生活をしなければいけないなと思うようになりました。5年日記は、この山河遊歩と内容がかなり重なるので、二度手間のように感じています。10年日記にすると、書く欄が小さくなり、前年さらに前年と何年もさかのぼって、同じころ、何処で何をしていたかが一覧できます。これから10年間のフィールドワークの記録に特化して、お出かけ先一覧にしていこうかなあと思います。病院日記にだけはしたくないです。来年から10年日記にすると、66〜75歳の、フィールドワークの記録ができるはずです。詳しくはこの山河遊歩に書いているので、山河遊歩の番号を書いておけばブログで詳しく読むことができます。山河遊歩の目次のような位置づけにします。もう1年頑張って書けば、5年日記も終わるのですが、あと1年待つよりも、しなければと思ったときから始めるようにしないと後悔するような気がします。毎日、何らかのフィールドワークをして、10年間続ける記録をスタートします。昨年ぐらいから、ほぼそのような生活になりつつあるので、おそらくいい記録になると思います。コロナ感染が治まると、広く動けることができるので楽しみです。
◆今日は、埴沙萌『82歳の植物生態写真家が見つめる生命 足元の小宇宙』を読んでいます。家には、この埴さんの『植物記』福音館書店があります。埴さんが62歳の時に出版された素晴らしい本です。今回読んでいる本は、埴さんが植物写真家になった経緯、経歴、そして82歳(2013年)になってなお、植物の写真を撮り続けられている生活が書かれています。東京農業大学時代、サボテンの研究をしていて、みんなからシャボテン君と呼ばれていたので、自ら埴沙萌(はに・しゃぼう)と、ペンネームをつけたということです。本名は、杉山繁。経歴は、この『足元の小宇宙』にも詳しく書かれているのですが、ネットから一覧を引用させてもらいました。
「大分県臼杵市出身。
1949年に「シャボテン研究家」の龍膽寺雄に師事。
1951年に東京農業大学に砂漠植物研究室を設置したとしている。
1960年には静岡県伊東市大室山のシャボテン公園に設計企画し、砂漠植物研究室のコレクションを移した。なお、同地は2016年10月22日に名称変更して「伊豆シャボテン動物公園」となっている。
公園完成後に東京農業大学を辞して、山口県屋代島(周防大島)に移住。同地で沙漠の沙漠植物を研究しながら月刊「Shaboten」「沙漠の花」を発刊。
1968年 もしくは1971年に生まれ故郷である臼杵市にて植物生態を撮影しはじめた。以来45年間もの間、植物の生態を撮り続けた。
1994年には「雪のなかの植物の生態を見たくて」群馬県に移り住む。
75歳前後(2006年ごろ。ただし、それ以前から撮影していた可能性は高い)からは、「動かない植物が動く瞬間をとらえたい」と願うようになり、動画の撮影も開始する。
2013年にはNHKがその長きに渡り積み重ねてきた植物生態撮影をNHKスペシャル「足元の小宇宙~生命を見つめる植物写真家~」で取り上げ、大反響を呼んだ。春夏秋冬 1年中にただひたすら、植物の命を撮影する様子に密着した同作品は人気を博してDVDにても発売され「植物たちの小さな命の尊さに迫る」とキネマ旬報社に記載された。生涯に渡って撮影した写真は50万枚を超えると言う。」(Wikipedia)