家原寺まで往復10㎞を歩く 2021年5月8日(土)
今日5月8日は、小学校校区の連合自治会の会合の日だったのですが、「緊急事態宣言が出ているので一週間延期をして5月15日(土)にします」と、4月末に連絡が入っていました。しかし、緊急事態宣言は5月11日で解除されることはなく、5月31日まで延長されることになったので、5月15日も中止となるのでしょう。また、連絡が入るのかもしれません。掲示板に貼る、掲示物をもらいに行かなければならないなと思います。
10時、連合自治会事務局に、掲示物と連絡をもらいに行くと、「月曜に会議の中止の連絡を入れるので、それから取りに来てください」と、言われてしまいました。土日の間に掲示をしたり、回覧板を作ったりしようと思っていたのですが、なかなか思うように行きません。しかし、当自治会の中に、連合自治会の副会長の方がおられて、その方が気を遣って昼過ぎに家まで届けてくれました。早速、連絡事項を読み、回覧に回す書類と、掲示板に貼る書類を整理しました。また、回覧板のプリントを書き始めました。
今日は、黄砂が大陸の方から西風に乗って流されてきているようです。少し曇り空のようですが、昼から歩きに出ることにしました。行基が建てたと言われている家原寺まで片道5㎞、往復10㎞を歩きました。遊歩(73) 家~ニサンザイ古墳~家原寺~家 です。途中、ニサンザイ古墳の横を通ります。ニサンザイ古墳は、カモなどの鳥の観察に行っていませんでしたが、今回、ニサンザイ古墳の周囲は、歩けることが分かりました。堀も広く、おそらく冬の間は、カモ達が来ているなと思いました。次の冬は、ここも観察地にしようと思います。古墳は、中位段丘の上にあります。仁徳天皇陵や履中天皇陵と同じ、だいだい標高20mぐらいの中位段丘の上です。家から中位段丘上を歩いて南へ進みニサンザイ古墳を過ぎると、百済川を横切ります。おそらく標高5mぐらいの川沿いまで下り再び段丘上へ上ります。この川を横切る所は坂道になっています。東京の街も、出張で行く度によく歩いてきました。同じような坂道が多くあるのを思い出しました。
家原寺には初めて行きました。今回は、あちこち工事中のような感じで少し残念でした。由緒あるお寺なので、奈良のお寺のように、頑張って整備して欲しいと思いました。拝観料500円と書いていたので、本堂横の受付の方にお支払いしようとすると、車で来た人は、駐車料金として500円をもらっていると言われました。歩いて来たので無料ということでした。お賽銭をいつもより少し多く入れてお参りをしました。家原寺まではちょうど片道5㎞で、途中に古墳もあり、段丘から下る坂道もあるので、これからの歩くコースの一つにしようと思いました。特に電車に乗らずに往復歩くので、コロナ感染拡大中にはよいのかもしれません。
家原寺をネットで調べてみました。
「家原寺(えばらじ)は、大阪府堺市西区家原寺町にある行基宗の本山の寺院。以前は高野山真言宗別格本山であった。本尊は文殊菩薩。地元では「智恵の文殊さん」として親しまれている。寺伝によると慶雲元年(704年)、行基が生家を寺に改めたのに始まるとされる。叡尊が寛元3年(1245年)に再興し、多くの塔頭を有したが、兵火などで衰退した。江戸時代には田安家が帰依して寺領の寄進がなされている。しかし、明治初年の廃仏毀釈で荒廃する。
1989年(平成元年)に三重塔が再建された。
2018年(平成30年)に高野山真言宗から独立し、行基宗を創設して本山となっている。
合格祈願の寺として、以前は祈願する際に本堂の壁に直接願い事を書き入れていた。そのために別名「落書き寺」と呼ばれていたが、現在は合格祈願をハンカチに書いて本堂の外壁に張り付ける形に変わったことから、別名「ハンカチ寺」と呼ばれている。山門に安置されていた以前の仁王像は、明治時代の廃仏毀釈のなかで村人によってフランス人の美術商に売却されてしまった。現在はアメリカ合衆国首都ワシントンD.C.のフリーア美術館に収蔵されている。」(Wikipedia)