山河遊歩の書式を試してみる  2020年12月25日(金)

 

 1月からの山河遊歩の記録に向けて、準備が整ってきました。山河遊歩という単語も、パソコンで直ぐに出るようになってきました。自然の記録の時に、植物、虫、鳥・動物、地学・科学、教育と、色分けするようにしました。あとで、一連の文章にするときに、この色分けを目印に、それぞれの分野別記録を作るようにしようと考えています。山河遊歩を0~999号まで、3年間書き続けることができると、やはりかなりの量になります。さらに、「こぎつねさんぽ」のブログの写真と一緒に編集すると、自然歳時記になるのではないかと思いました。歩いたコースも、◆遊歩(1)というように、毎回同じスタイルで記録すると良いようにも思います。一時期、ノートに歩くコースを記録していたのですが、晴歩雨読の内容と重なってしまうので、途中から、晴歩雨読だけの記録にしました。1月からは、山河遊歩に記録していくことにして、そこから歩いた記事の段落を拾い出して、編集するようにします。

 

◆遊歩(1) 20201225 家→白鷺公園→西高野街道→福田→陶器北→辻之→泉が丘駅(9㎞)

 まず、家から白鷺公園へと歩き、白鷺公園の池ではカモの観察をしました。白鷺公園からは、西高野街道を通り、南堺病院の手前で、西高野街道よりは少し細い道へ右折して、南の泉が丘駅へと進みました。福田→陶器北→辻野のあたりには、蔵がある大きな家が並び、昔からの幹線道路だと分かります。おそらく古代からの道です。微地形に沿ってうねりながらもどこまでも続く街道といえるような力強い道でした。街道名がついているかもしれません。お地蔵様やお寺も、道沿いにあり、歴史を感じます。また、陶器北という地名が示すように、この地域は、泉北丘陵を作る大阪層群という地層の中の粘土を使って、弥生時代~古墳時代、埴輪や土器や須恵器を焼いていた所です。古代の窯跡がたくさん見つかっています。陶器北→辻之→泉が丘駅あたりは、川が丘陵地を深く侵食していて、今回歩いた道は谷を横切るので、二度ほど大きく下りと上りがありました。

白鷺公園の池には、ヒドリガモが多くいました。オオバン、バン、アオサギ、シラサギも見られました。ヒドリガモは、毎年ショウブが育つ川の浅瀬を歩きながら、しきりに何かを食べていました。ここのヒドリガモは近づいても直ぐに逃げないので、ゆっくり写真を撮ることができました。白鷺公園というので、この地域には昔シラサギが多くいたのでしょう。ネットで調べると、「●昭和40年頃に団地が造成されましたが、それまでこの辺りは、田ばかりで、高野線の電車に乗ると、青々とした田に白鷺が舞い降りて美しい風景でしたから白鷺団地と名づけられました。」(堺市東区ホームページ) 古墳も多い地域なので、シラサギたちは、古墳をねぐらとしてたくさん生息していたのでしょう。また、白鷺公園内の池は、但馬池ということが分かりました。大雨が降った時、百舌鳥川が溢れないための雨水貯留施設となっているようです。大雨警報発令中は扉を閉鎖して、施設内に入れない場合があるということです。

陶器北の田園風景が広がる所では、ハコベとオランダミミナグサの写真を撮りました。勿論、ナズナやホトケノザやハルノノゲシも見られました。風がとっても強い日で、空の上では風がゴウゴウと音を立てていました。家に帰って撮影した写真を見ると、ハコベもオランダミミナグサもどちらも、風で揺れていてピンボケでした。また、撮り直さなければいけません。