イチヤクソウを見る  2020年6月22日(月)

 

 6月になり、コロナ自粛が終わってから1週間に一度、山行きを始めました。今日で4回目になります。初回は二上山鞍部440mまで、次は二上山雌岳474mまで、3回目は槇尾山施福寺、そして今日、二上山雄岳517mへと登りました。確実に登る距離が伸びています。最初、6月1日に二上山の鞍部まで登ったときはとても疲れて、そこから雌岳や雄岳へと登る元気はありませんでした。足の裏も、腰のあたりも痛くなりました。しかし、今回はどこも痛くありませんでした。山歩きが少しはできる足になってきたようです。計画的に、順を追ってトレーニングしていくと、登れるようになってきました。街歩きも二日に一度は10㎞を歩いてきています。体調はいい感じです。

 今回の二上山登山では、久しぶりに雄岳頂上まで登りました。多くの人が登っています。山歩きをしている人は、みんな体力がありそうです。二上山について、ネットで調べてみました。

「奈良県北葛城郡、金剛・葛城山脈の北端に位置する二上山は、いかにも山らしい親しみのわく山容が特徴である。その容貌とは裏腹に、皇位継承権の争いに巻込まれ死を賜った、大津皇子の哀史を秘めた山である。山名は大津皇子の死を哀しんで大伯皇女が万葉集に残した「うつそみの 人にあるわれや明日よりは 二上山(ふたかみやま)を 弟世とわがみむ」の歌からいつしか二上山と呼ばれるようになったといわれる。二上山は二山が並び、北側を雄岳(517m)、南側を雌岳(474m)と呼ぶ。瀬戸内火山帯に属する古い火山で、桜が多く、花の山としても知られる。二峰の頂からの眺望はきわめてよく、河内平野と大和平野を一望にすることができる。雌岳の南、岩屋峠には中将姫がこもったという岩屋が杉の古木の下に残っている。そこから桜並木の山道を西へ向かえば、推古天皇のころ、聖徳太子の弟麻呂子皇子が建立した禅林院の跡といわれる鹿谷寺跡がある。凝灰岩の巨岩に十三重塔や三体仏が彫られている。」と、YAMAKEIのページに書かれていました。

 

 今日は、アジサイが登山道周辺にたくさん咲いていました。前回登ったときは、ササユリが咲き始めた頃でした。今回も少しだけササユリが咲いていましたが、もうササユリの季節は終わりです。鞍部近くで座り込んで花の写真を撮っている人がいて、イチヤクソウだと教えてもらいました。毎回、出会った人に、植物を教えてもらっています。小さな植物なので、見逃してしまいそうな植物です。幸運でした。一眼レフカメラを持ち歩いているので、「大きなカメラで撮ってもらうと、植物も喜ぶと思いますよ。」と、言われました。

「イチヤクソウは、細い地下茎は短く、その先に数枚の葉が集まってつく。長さ2.5-5cmの太い葉柄があり、葉身は卵状楕円形または広楕円形で、長さ3-6cm、幅2-4cmになる。葉の先は鈍く、基部は鈍形かややとがって葉柄に流れ、縁には細かな鋸歯があり、葉裏はしばしば紫色を帯びる。花期は6-7月。葉の間から長さ15-20cmになる花茎を伸ばし、総状花序をつけ、3-10個の花がつく。花茎には1枚の披針形のとがった鱗片葉があるか、またはない。苞は狭披針形で先はとがる。萼片は5個で離生し、披針形で先はとがり、長さは幅の2-3倍になり、長さ3-5mmになる。花は白色で径約13mmの広鐘形になり、花弁は5個あり離生し、下向きに咲く。花柱は細長く、湾曲し、長さ5-7mmになり柱頭は小さく5裂する。果実は径6-7mmの蒴果になる。和名の由来は、花期の全草を乾燥させてものが民間薬とされたためという。」(Wikipedia)

 6月19日には、他府県にも出掛けても良いことになったので、車で少し遠出もできます。曽爾高原や伊吹山や御在所岳や琵琶湖バレー、吉野、大台ケ原などにも行くことができます。京都の愛宕山、大文字山へも登ってみたいです。まずは、近くの岩湧山、金剛山に登ってから、それらの山へ行くようにしようと思います。