お便りを書く生活  2020年5月10日(日)

 

 今日は母の日でした。むか新(大きな和菓子屋)まで、お饅頭と赤飯を買いに行き、午後から母とお饅頭を食べながら珈琲タイムをしました。赤飯は夕飯用に持って帰ってもらいました。カーネーションは、4、5日前に、小さな植木鉢に植わっているものを届けました。その時、庭の花の手入れもしました。庭の花は、その家の人の心を表しているようで、枯れたまま放置されているのは本当に心が痛みます。フィールドワークで歩いている時にあちこちで見かける、地域の小さな公園も、花が枯れていたり、雑草が伸びっぱなしでゴミが散乱していたりするところがあり、子ども達が可哀想だなと思います。子どもの心の育ちは環境によって大きく左右されます。みんなの力でいい環境を作り、子ども達を健やかに育てたいものです。

 

 この晴歩雨読は、A4で1枚分を毎日書いています。3日間保留していて、3日遅れでブログにアップしています。もし書けない日が2日続いても、なんとか穴をあけることなく、頑張れば追いつくことができます。3日寝かしてからブログにアップするときに新たな気持ちで校正ができるので、3日遅れぐらいが丁度よいように思います。何度かチェックしているのですが、アップしてからも誤字や脱字が見つかり、慌てて修正することもよくあります。

 この晴歩雨読のブログは、ありがたいことに、読んでくださっている人が少し増えているような感じです。昨日は133回もアクセスがありました。また、「いいね」の欄にチェックを入れてくれる人もいて、励みになります。日本各地の意外な人が「いいね」をしてくれているので、びっくりするときもあります。写真ブログではないので、見るだけではなくて読まなくてはいけません。そのため、丁寧に読みやすい文章を書いていきたいと心がけているのですが、なかなか難しいものです。

 かつて、こぎつね小学校で先生をしている頃は、学級だより(週二回程度、年間100号ぐらい)、理科だより(週一回、年間40号)、学年だより(週一回、年間40号)、そして管理職になってからは学校だより(月一回、年12号)を書いてきました。学級だよりはクラスの40人の子ども達とその保護者が見てくれていたので、100人ぐらいが読者でした。学年だよりは、毎週200人ぐらいが読者でした。理科だよりは、理科専科教諭として3~6年の8クラスを教えて、320人の子ども達に6年間配布していましたので、保護者も含めて毎回500人ぐらいの方に毎週読んでもらっていました。大きな影響力があったと思います。学校だよりも、500人ぐらいが読んでくれていました。長い伝統のある学校でしたが、学校だよりは私が管理職になった時に初めて書き始めました。今も続いているはずです。 

 昨日の新聞に、元中学校の国語の先生が自分史の本を出版して、教え子や市内の学校に寄贈したと書いていました。貴重な教育の記録だとお返事が来たことも、添えられていました。なかなか、このような出版は出来ませんが、自分で日々ブログに発信しながら、世の中の動きや、かつての教育の思い出や、日々のフィールドワーク生活などを、書き溜めていくことはできています。ブログは、ありがたいなと思います。そして、読んでくださる人がいるというのは、書き続ける励みとなっています。