子どもは力を持て余している  2020年5月5日(火)

 

 子どもは力を持て余しています。幼稚園や小学校の教育は、本当に子ども達の能力を育てているのでしょうか。世の中の方がどんどん進み、20年も遅れた教育を子ども達は受けているような気がしてなりません。基礎基本を育てるので、それでよいと思っている教師や教育学者が多いからなのかもしれませんが、子ども達は、現代社会の最先端の情報を得ながら育っています。しかし、学校教育はずっと昔からの基礎基本だけを教え込み、テストをして、作品や作文を書かせて、あなたは賢いあなたはまあまあと順列を付けているだけなのかもしれません。本気で、子どもの能力を高めるような教育がなされているのか、検証しなければいけません。

 子ども達は、育つ場に合わせて能力の発揮ができます。生まれてすぐの子ども達は、生き残る為のいろいろな能力を持って生まれてくるように思うのですが、この程度でよいのかというところを察知し、使わないでよい能力には蓋をしていくように感じます。特に、言語を覚える10歳ぐらいまでの教育環境がとても重要です。親も子も、ちょっと必死になるような優れた教育環境の中で、周りの優れた環境に適応していくように能力を伸ばすことが大切です。優れた指導者、最先端の教育環境や設備に触れることが必要です。

 世間一般的な中学、高校の教育は、子どもの意欲や能力を高める学習になっていません。自分からもっと知ろう、さらに本を調べようなどと思うような授業ではありません。与えられた知識を詰め込むだけで精一杯の教育です。大学の教育はさらに悪くて、大学生になった瞬間、アルバイトと友達付き合いに明け暮れているレジャーランドになっているように感じます。

 読書量だけでそれぞれの年齢の学習力を適切に表すとは思えませんが、これまで教師をしてきて感じているところでは、小学校3年生で年間100冊(月に8冊)、中学生で年間120冊(月に10冊)、高校生150冊(月に12冊)、大学生200冊ぐらいの読書量が必要になるような学習を進めてほしいと思います。例えば大学生の200冊は、新書や文庫を含めての読書量です。大学生は、年間20単位ぐらいの講座をとります。それぞれ5冊ぐらいの本の指示があり、読まなければならない指定図書で100冊となります。あと100冊は、自分でさらに進んで読む本です。大学へは、日々本を読むために行くというような意識でよいのではないかと思います。大学へ行き、講義の時間以外に毎日1冊読むと200冊読めます。アルバイトなどしている暇はありません。アルバイトは、夏休みや冬休みに集中してするべきです。講義も、本を読んでくることで初めて、出席できるというような形式にします。学生は本に付箋を貼り込んできたり、ノートを作ってきたりして、学生主体の討論形式の講義にしてほしいと思います。大人でも、週に3冊読むと月に12冊、一年で150冊近く読みます。雑誌も含めて、仕事をしながらでも、これぐらいの読書量は必要です。それでも40年間で6000冊しか読めません。

 教育は、教えていてはいけません。自分で学んで、発信して、交流して、また学ぶということが大切です。読書は、基本中の基本です。今回は、本の冊数ということで学習量を書きましたが、演劇、音楽、スポーツ、芸術も、このような自らの主体的な学びが大切であることは変わりないと思います。