自由研究は学びの原点  2020年4月30日(木)

 

 今日も、二日前と同じ仁徳古墳から大仙公園を歩きました。同じ道を歩くと見通しが持てるので安心です。ニワゼキショウの写真を撮りました。また、白くて小さなニワゼキショウと似た花があり、ネットで調べるとセッカニワゼキショウと言われているようですが、きちんと分類されていないと書いている人もいます。注意して見ていく花であるかもしれません。

 

 部屋の大掃除は、書類関係の処分の次の、写真の整理をしています。写真は、すべて一気にゴミ袋に入れたり、裁断機で処分したりしているわけではなく、一枚ずつ見ながら、少しずつ写真を残しています。まるで地層の中から、化石や宝石を掘り出していくような作業になってきました。そして、その掘り出した貴重な写真は接写して、「こぎつねさんぽに出かけよう」のブログに載せていくことにしました。これで、長く保存してきた写真も、全て廃棄処分ではなく、貴重な資料として残していくことができるようになります。今日は、こぎつね小学校で1星を担任していた頃の教室の写真を、ブログに載せました。今、こぎつね小学校もコロナ感染自粛のため授業をしていないので、新1年生にとっては大きな情報になると思います。昨年こぎつね幼稚園(小学校退職後4年間こぎつね幼稚園で勤務していた)で一緒に活動していた現在の新1年生も見てくれているようです。こぎつね小学校の担任の先生は、おそらく教科書を進めることが気になっていることだと思うので、私は自由研究が大切だということを伝えたいと考えました。

 自由研究は、自分の興味のあることについて自ら学びを進め、基本的な学習力をつけていくことができます。やらされる学習ではなく、自分で工夫をして、自分で追究を進める学習法です。私は、こぎつね小学校の1年担任の時は、毎日1時間、自由研究発表の時間をとっていました。5分間ぐらいで自分の書いてきた研究や、持ち込んだ実物を見せながら発表をして、「何かおたずねはないですか」と発表者が言います。そうすると、聞いていた人たちから「おたずね」の手があがります。自分で指名して、おたずねを言ってもらい、答えられることは答えます。分からないことは「また、調べておきます」と言い、後日、朝の会の時に伝えたりしていました。ほとんど子ども達同士で進めていくのですが、時々、いいおたずねが出されたとき、「いい所に気が付いたね」と褒めるようにしていました。また、発表の最後には、発表者の視点のよさ、取り組みのよさを、少しだけ褒めるようにしていました。ここに教師の資質や発想や能力が問われました。日頃、教師も研究を続けていることが大切でした。子どもは常に探究者であり、教師も共学者であり研究者であることが求められました。

 自由研究の発表順番を保護者に伝えておくと、見に来られる方も多くいました。さらに、自由研究発表の時間以外の学習も、いつでもどこでも見学していてもよい学校でした。教室の学びは、常に公開されていました。また、全国からも学校現場の先生方や、教育学を学んでいる学生や大学の研究者も見学に来られていて、そこに保護者も常にいて、日々いろいろな大人が教室にいる中で、こぎつね学級の学習を進めてきました。

 この自由研究の取り組みは、実は、教科書も自ら学びを進める子どもに育てます。教育は積極的に教えてはいけないという方針です。子どもが教科書を自ら学ぶことから学習を始めます。分かったことを発表して、おたずねをしてもらい、さらに学びを深めていく学習法です。自由研究発表の進め方と同じです。また、分からないことを「おたずね」するということで、みんなで調べ合っていく課題や問題へと発展します。ものごとの仕組みが分かる過程を、子どものリズムで解決する経験をさせることに重点をおいています。そんな、自由研究発表を学びの原点として、「学びを自ら進める子ども」、「自立した学習を創る学校」として存在していました。

 撮りためてきた写真を、貴重な資料としてブログに掲載できることが、これからのしばらくの愉しみとしていきたいと思います。また、子どもの資料だけでなく、地学研究の貴重な写真も多くあります。ブログに載せることで、保存がさらに長くなります。断捨離から、いい方法に巡り合いました。