机の上の整理  2020年3月27日(金)

 

 机の上に、新聞の切り抜きがたまってきました。記録しておくことにします。新聞の記事に、自分の考えを付けたしてまとめておくことにします。

 

●徳島県勝浦町で「恐竜化石含有層(ボーン・ベット)」から肉食恐竜の歯の化石が見つかった。中四国で肉食恐竜の完全な歯の化石が見つかったのは初。この地層は白亜紀前期(約1億3000年前)とされており、化石は国内最古級という。発掘調査は、徳島県立博物館が進めている。1994年と2016年にも植物食恐竜の歯は見つかっているのですが転石からの発見でした。今回は、地層の中から見つかったので、大発見ということになりました。徳島県にある化石の見つかった地層は、中央構造線の南側にあります。紀伊半島にも同じ時代の地層があります。

●「探究心を育む教育」 国語は読解力を意識して、情報を比較・分類したり、原因と結果を整理したり、図表などで表現したりする。理科の観察実験では、生徒らが対話形式で疑問点や仮説を出し合った資料などを示して、新たな視点に気付かせたり、自分の考えを言葉や図で書かせたりするようにする。これから、インターネットの活用が増えてくるので、子ども達には、情報を適切に扱う能力、図表を読み取る能力が必要になってきます。また、教師は、大量のデータを扱うようになるので、概念構造図などで表現する能力も大切だと思います。

●「主体的・対話的で深い学び」として、グループ学習や討論が多く盛り込まれるようになってくる。一斉授業で生徒が受け身になるのではなくて、主体的に活動することで、思考力や表現力を育てるのをねらいとする。生徒にとって切実なテーマ、楽しいテーマを取り上げて、一人一人が主体的に自分の考えを持つことがまずは大切である。新しい中学校教科書には、グループ学習、ディベート、調べ学習、体験学習など多様な活動が盛り込まれている。また、メディアリテラシーを養うために、新聞やネットの情報の適切な活用力をつける必要がある。自分で資料やデータをためて、考えを構築する能力を高めなければならない。手ぶらで議論に向かうことがないように、まずは、1枚レポートを書いて、それぞれが発表し合ってから、話し合いに入る必要がある。構成力、構造力、表現力、知識の差や特徴を自分で自覚しながら、学びに参加していくようにさせなければならない。

●吉野の桜 今年の満開予定は、下千本は3月31日、中千本は4月2日、上千本は4月5日、奥千本は4月10日ごろということ。(3月24日現在、吉野町調べ)

●自主学習ノートに気になった記事を貼り、感想や気付いたことをまとめていることで、中学受験に備え、難関校に合格。時事ニュースが自然と身に付き、自分なりに考察することで、考えを持てるようになる。今、この晴歩雨読も記事は貼り込んでいないが、同じようなことをしている。新聞記事を少し記録して、それにコメントや、続きの考察を自分なりに書くようにしている。

●読書は、少し背伸びしよう。いい言葉です。

●稲田桃 東大阪市稲田本町の、寝屋川沿いで、江戸時代のこの地域で盛んに栽培されていた「稲田桃」の花が見ごろを迎えている。(3月27日) 稲田桃は日本古来の野生種で、江戸時代には稲田地域一帯で栽培される特産品だった。洪水などの影響で次第に数は減って行ったが、約20年前に地域住民らが稲田桃再生栽培プロジェクトを発足して、残っていた原木から実を採集し、苗木を育てて川沿いに植樹している。楠根小学校西側の第二寝屋川堤防沿い約2kmに渡ってあざやかなピンク色の花を咲かせている。近鉄奈良線の八戸ノ里駅から第二寝屋川沿いに放出駅へと歩くと、楠根小学校の横を通ることになるので、その道を歩くことにします。今年はむりなので、来年かな。

●養老孟司さん 「コロナも多様性の一つ」 しばらくしたら収まると思っていたが、ここまでくると即効策はないでしょう。ワクチンができるまでいかに感染を遅らせるかが課題になる。敵だから潰せという話になると、外出できず、人とも会えず、経済は止まる。いくら人工的に安全な環境を作っても自然は多様で絶えず変化するから、頭で考えたシステムで何とかなるとは思わないほうがよい。そもそも生物がいろいろあることを多様性の一言ですますのはおかしいし、人間には都合がよくない新型コロナも多様性の一つ。登場してしまったからには、共存するしかない。だって自分の一部ですから。例えば田んぼだって自分です。なぜなら、そこで稲が育ち、米になり、それを食べて自分の体になるんだから。そうすると田んぼは将来の自分でしょう。物質は循環しています。ですからウイルスだって、存在してしまったからには、もはや人ごとではない。世の中も自然も、思うにまかせぬものですから、起こったことはしょうがない。その結果をいかに利用して、生き方を見直すかで行先は違ってくる。

 

 机の上の新聞記事が、頭の中に片付きました。資料を置いていてもおそらく後から使うことはないので、切り抜いた時に、自分の文章の中に取り込んでみるようにします。一部は、知識として、教養として取り込まれるかもしれません。