「家~大和川~住吉大社」へと歩く 2020年3月25日(水)
とっても天気がよいので、住吉大社まで8㎞歩きました。金岡公園の横を北西へと流れる狭間川沿いに歩きJR浅香駅に出て、そこから大和川沿いに下流へとしばらく歩き、遠里小野橋を渡ります。大阪市内に入って、遠里小野町から熊野街道を北上し、住吉大社へと歩きました。最近、この道がお気に入りになってきました。車が頻繁に通る大通りを殆ど通らなくてよいので、お散歩コースには最適です。
大和川の浅香には、私が子どもの頃は浄水場がありました。ネットで調べると、
「1910年(明治43年)4月通水。近代水道としては全国18番目である。当初は大和川から原水を取水していたが、大和川の水質の悪化に伴って1978年(昭和53年)11月に取水は中止されている。また、かつての浄水施設も撤去が進み、事実上「浄水場」ではなく「配水場」である。現在は、淀川から取水した大阪広域水道企業団村野浄水場から送水された浄水や堺市内の他の配水場からの送水をいったん浅香山浄水場で受水したのち、堺区内に配水している。」
「浅香山浄水場では毎年4月下旬~5月上旬にかけて、「ツツジの通り抜け」をおこなっている。浄水場内の沈殿池の堤防強化や緑化を目的に植えられたヒラドツツジ約2300本が、期間中に無料公開される。ツツジの通り抜けは1956年(昭和31年)に開始された。ちなみに2011年(平成23年)は東日本大震災の影響で中止となった。2012年(平成24年)からは、浄水場敷地内の一部に常時散策可能な「浅香山緑道」が整備されたことにより、これまでの開花時期だけの期間限定開放から、常時つつじを楽しめる環境へと変わった(緑道部分)。また、この緑道の完成により、「緑道のつつじ」とこの時期に開放される「浄水場のつつじ」を合わせて、「浅香山つつじまつり」へと名前が改められた(旧「浅香山浄水場つつじの通り抜け」)。浄水場の樹齢70年を越えるつつじ約500本と、新しく植えられたつつじ約2000本が約600メートルにわたって楽しめる。浅香山浄水場のツツジは、「大阪みどりの百選」にも選定されている。」
という説明がありました。
私が子どもの頃は、まだ浄水場でした。ツツジがたくさん植えられていて、5月の連休の頃、特別公開されて、何度か見に行ったことがありました。現在は、浄水場から配水場になっていて、ツツジのある場所は、緑地公園になっているので、いつでも見られるようになりました。
次に、前から気になっていた、「遠里小野」について調べてみました。
「遠里小野の地名は、古代律令制度が成立するころから記録があり、万葉集では「とほさとをの(とおさとおの)」と詠まれている(三省堂『大辞林』)。一説に,かつては「ハリのオヌ」や「ウリノ」「瓜生野」(うりうの)などと呼ばれ、それが訛り、「遠里小野」(おりおの)に変わったとも言われる。南北朝時代に室町幕府軍と楠木正行軍が衝突した「瓜生野の合戦」を起源とする説も存在する。かつて中世から近世にかけては農村として栄えていたが、遠里小野遺跡の発掘調査から、古代は漁具などが大量に出土したことから、漁村であったと考えられている。大和朝廷のころは現在よりも海岸線が東にあり、このあたりに墨江津とよばれた港が開かれていた。また、難波京と和泉国府方面を結ぶ南海道と呼ばれた官道が通っていたことから交通・物流の中継地であったと考えられている。中世以降は熊野街道が集落の中央を通り、現在はあべの筋が旧集落を避けるように通っている。遠里小野は、古くから油の産地として知られていた。また、日本で初めて菜種油を生産したことで知られる。菜種油は江戸時代から明治時代にかけて盛んに生産・販売された。現在は菜種を栽培する農地は市街地と化し、油生産は廃れた。当初、遠里小野における油生産はハシバミの搾油から始まった。古代から中世にかけては、朝廷が神事に用いた灯明は、すべて遠里小野で生産された油を用いたとされる。しかし山崎(現在の京都府乙訓郡大山崎町付近)で長木によるエゴマ油の生産が行なわれるようになると、生産性・品質において山崎製が優位となり、遠里小野のハシバミ油は競争力を失った。起死回生を図るべく、遠里小野では油分の多い菜種の搾油に着手し、搾油道具の改良とあいまって競争力を回復し、中世・戦国時代から平和な時代へ移り変わったこともあり需要が増大し、村は大いに潤った。かつて、この地域の東方、河内国ではしばしば大和川が氾濫し、洪水の被害を及ぼしてきた。抜本的な解決策として、大和川の流れを北から西へ変える付け替えが行なわれることとなった。事前の調査によりいくつかの開削ルートが考えられたが、最終的には遠里小野村集落の南側で村を二分するルートとなった。1704年(宝永元年)に付け替えが実施され、村は二分された。現在両地は「遠里小野橋」で結ばれている。」
と、ネット情報には書いていました。
遠里小野ではかつて燈油の生産をしていたこと、大和川が付け替えされたことで村が分断されたことが分かりました。今回、浅香山浄水場、遠里小野町について調べました。歩いてから調べると、ネットの情報もよく分かります。フィールドワークは大切だなと思いました。
住吉大社には、着物を着た子どもが一人いました。今頃、七五三参りをしているのかなと、思いました。また、お宮参りの一家もいました。私もお参りをして、電車で帰りました。