粉河寺に行く  2020年3月6日(金)

 

 今日は朝からいい天気だったので、お出かけをしようと考えました。二上山に登山へ行くか、それとも粉河寺に行くかを迷ったのですが、槇尾山に登山してからまだ一週間たっていないので、今日は粉河寺に行くことにしました。槇尾山施福寺が、西国三十三所霊場巡りの第4番目で、第3番の粉河寺に行ったことがなかったので、どのようなお寺なのかお参りに行きました。また、数年前に、和泉葛城山の下を突き抜けて和歌山へと続くトンネル(480号線)ができたと聞いていたので、一度、車で通ってみたいという考えもあり、粉河寺に行くことにしました。

 堺市の家から、泉北1号線を通り、和泉市父鬼地域から和泉葛城山の下を通るトンネルに入ります。粉河寺まで家から1時間ほどで行くことができました。粉河寺へ行くには、トンネルを抜けるのが一番近くて早いコースでした。しかし、こんな場所によくトンネルを掘ったものだなと感心するような、とても長いトンネルでした。高速道路や有料道路でもなく、一般道のトンネルなので本当にすごい投資だなと思いました。

 粉河寺は、和泉葛城山の南の麓にあります。昨年、車で和泉葛城山の山頂まで登っていて、その時は、泉佐野市の犬鳴温泉の近く、西側から和泉葛城山へ車で登って、帰りは北の牛滝へ下り岸和田市から家に帰ったのですが、山頂から南の和歌山方面に下る道もありました。南へと下ると粉河寺のすぐ横に降りることになります。奇妙な地名が並ぶことに昔から疑問に思っていました。和泉葛城山の麓地域の地名です。西から犬鳴(泉佐野市・和泉葛城山の北西)、牛滝(岸和田市・和泉葛城山の北)、父鬼(和泉市・和泉葛城山の北東)です。鬼は鬼門の方位北東と考えると、なんとなく和泉葛城山から見た、十二支の方位と一致しているように思えてきました。なんの根拠もないのですが、これまで混乱していた犬鳴、牛滝、父鬼の位置が、自分なりに覚えられそうです。

 

 粉河寺は大きなお寺なのに、入山料、拝観料を徴収していませんでした。駐車料金は必要でしたが、おおらかなお寺です。ネット情報ですが、次のようなことを書き出してみました。行く前にこれらのネット情報を読んでも、頭に入らないのですが、見てきてから読むと、とてもよく分かります。

 「粉河寺(こかわでら)は、和歌山県紀の川市粉河にある寺院。天台宗系の粉河観音宗総本山。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。西国三十三所第3番札所。本尊は、千手千眼観世音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。JR粉河駅から徒歩10分ほどのところに大門が建つ。境内南西に南面した大門をくぐると参道は右手に曲がり、参道の右側は川、左側には本坊、童男堂(どうなんどう)などの諸堂が並ぶ。参道の先には西面して中門が建ち、そこからさらに一段高く造成された平地に本堂、千手堂、六角堂、丈六堂などが建つ。本堂前の斜面は巨石を並べた庭園(国の名勝)になっている。本堂は、西国三十三所の寺院の中で最大級の堂で、中門の先、一段高くなった敷地に建つ。

清少納言の『枕草子』194段には「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」とあり、『梁塵秘抄』に載せる今様には、「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河(後略)」とある。西行の『山家集』や、架空の物語である『うつほ物語』『狭衣物語』にも粉河寺への言及があるなど、遅くとも平安時代中期・10世紀には観音霊場として著名であったことがわかる。平安時代後期には、その頃から始まった西国三十三所観音霊場巡りの札所の1つとして栄えた。

 粉河寺の本尊千手観音像は絶対の秘仏とされ、公開された記録はない。日本の仏教寺院では、本尊が秘仏である場合、「お前立ち」と称する代わりの像を本尊厨子の手前に安置する場合があるが、粉河寺においては「お前立ち」像も秘仏である。本尊像は火災を避けるために本堂下の地中に容器に入れて埋められているとされる。「お前立ち」像は年に一度、12月31日に僧籍にある関係者が掃除のために開扉するのみで、在家の者が拝観する機会はない。なお、内陣背面(後戸)に安置された「裏観音」と称する千手観音立像は拝観可能である。

 2008年から2010年にかけて、花山法皇一千年忌を記念して、西国三十三所のすべての札所寺院において秘仏の結縁開扉が行われているが、粉河寺の本尊像はこの際にも開扉されることはなく、2008年10月に特別開扉されたのは、本堂の隣の千手堂の千手観音像である。なお、寺には高さ33センチメートルほどの木造の菩薩像頭部(11世紀頃の作)が所蔵され、これが旧本尊像の頭部であるともいわれている。本堂後戸(うしろど)安置の千手観音立像は、2016年6月 - 7月に和歌山県立博物館で公開され、2020年4月 - 5月に京都国立博物館で開催される「西国三十三所草創1300年記念 特別展 聖地をたずねて 西国三十三所の信仰と至宝 にも出展される。

 粉河寺庭園 - 国指定の名勝。中門から約3メートルの高さの石段を経て本堂に至る、その両翼に土留め石垣を兼ねた石組の庭である。緑泥片岩を主とし、琴浦(ことうら)の紫石龍門石(りゅうもんいし)などの紀州の名石を含む、多数の巨大な岩石が変化に富む手法で堅固に、美しく組まれている。ツツジの刈込みで石の間隙をうずめ、さらにビャクシン・シダレザクラ・ソテツなどの植栽が組み合わされている。石組全体の構成は向かって左手に重点をおき、枯れ滝・石橋・鶴亀の島などを象徴的に表現し、右手にゆくに従って石の扱いは軽くなっている。このような構成は庭園としては異例のものである。作庭の年代も不明であるが、手法からみて桃山時代の豪華な作風が如実にあらわれており、江戸時代初期を下らないころの作であると推定される。」

 

 龍門石が気になりました。龍門山は、この粉河寺からは近く、紀の川のすぐ南側にある山です。龍門石は、そこの蛇紋岩であるようです。龍門山をネットで調べると、その蛇紋岩の一部が、なんらかの作用で磁力を持っていているという磁石岩があることでも有名なのだそうです。次は、龍門山にも行きたくなりました。琴浦の紫石は、紅簾片岩(赤い変成岩)であるようです。

2020年の4月から、京都国立博物館で、西国三十三所の信仰に関する特別展もあるようです。

 

 もし、第三霊場の粉河寺から第四霊場の槇尾山施福寺へ歩いて行くとすると、今回通ったような便利なトンネルは勿論ないので、粉河寺からトンネルの上の鍋谷峠に登るか、もう少し東にある蔵王峠を登るかして和泉山脈の尾根に登り、そこから尾根道伝いに、槇尾山施福寺までつながっている近畿自然歩道を歩くのが一番早いように思います。昔の人もその尾根道を歩いていたのかもしれません。一日で歩けない距離ではありません。また、施福寺から続く第五霊場の藤井寺へは、大阪平野の周辺を北へと歩く約30㎞のウォークとなります。西国三十三所を歩いて廻っていた昔の人は、①那智の青岸渡寺、②紀三井寺、そして、③粉河寺、④施福寺、⑤藤井寺と、歩いていたのでしょう。今回、粉河寺と施福寺に行くことにより、和歌山から大阪へと辿る古代の歩き道が見えてきました。