赤川次郎『三毛猫ホームズの遠眼鏡』を読む 2020年2月13日(木)
赤川次郎『三毛猫ホームズの遠眼鏡』2015岩波現代文庫、を読みました。付箋をはっている場所を書き出してみました。
・(56p)井上ひさしさんとは、ご挨拶したことがあるくらいで、ゆっくりお話したことはない。正直、お芝居一本書くために、本棚二つ分の本と資料を読んだという井上さんとお話するのは怖かった。何しろ、こっちはミステリー作家と呼ばれ、作中にこれまで一体何人の「警視庁捜査一課の刑事」を登場させたかわからないというのに、警視庁組織図一つ知らないのだ。
・しかし、資料を調べたり古文書を探したりするのが大好きだという作家は珍しくない。特に「歴史小説」の著者はほとんどが「調査魔」である。その結果、戦国武将やら、幕末の志士やらの何か珍しい手紙でも発見しようものなら大喜びで、作中に全文引用したりする。かくて、手に持つのも疲れるような分厚い超大作が仕上がるのである。
・井上ひさしさんの本当の凄さは、膨大な資料を読破しても、あくまで本筋は自らの創造力を駆使して生み出したものから、少しもぶれていないこと。史実に振り回されるのではなく、フィクションだけが語り得る「真実」こそがテーマで、資料はそれを支える役割にとどまっているのである。
・(65p)私は、<心のノート>を批判する小説「教室の正義」を書いた。「心まで国に支配させてはならない」という思いは変わらない。当時文化庁長官だった河合隼雄氏が<心のノート>を使って授業をした、という新聞記事を読んで、河合氏に深く失望したのを覚えている。いじめや体罰の問題が起こると、「道徳を授業でしっかり教えろ」という声が起る。あべこべである。「道徳」が教えられるものだという考えこそが、いじめや体罰を生むのだ。
・(74p)若い人に話をするとき、私はたいていこういうたとえ話で話を結んだ。生きていくということは、砂漠の真中に一人で放り出されるようなものだ。いつか目指す場所へ向かうためには、目印になる高い星を常に見失わないこと。そしてもう一つは、日々命をつなぐための「水」を見つけることだ。その二つのどちらが欠けてもいけない。目的地に向かってただ真直ぐ歩けば、途中、乾きで倒れてしまう。たとえ脇道へそれ、道草をしても、一日一日を生き生きと送るための「水」が必要だ。しかし、それだけでは目の前の楽しみに安住してしまう。たとえ遠回りをしても、目的地がどこかを忘れてはいけない。高みの星は「見果てぬ夢」、理想であり、日々の「水」は人を愛したり、何かに打ち込む喜びでもある・・・。
・(171p)聴衆から、「今、大新聞が権力の言うなりの中、正しい情報をどうしたら手に入れられるか」という質問があった。「何か一つ、関心を持った出来事があったら、それについて、前後のあらゆる情報を徹底的に集める。そうすると必ず真実が見えてくる」と、むのたけじさん(99歳の現役ジャーナリスト)の答えにはハッとした。確かに、どんな事件でも「そのときだけ」の関心で通り過ぎていく現代である。このむのさんの言葉は、ずしりと胸に響いた。
赤川次郎さんは、クラッシック音楽、映画、文楽などにとても詳しい方だと分かりました。コンサートにもよく出かけておられます。映画や音楽は、DVD、ブルーレイなどで購入されて見たり聞いたりしていて、監督や俳優や指揮者の素晴らしさについて書かれていました。政治に対する批判も多く書かれていましたが、芸術分野に対する理解の深さに感心しました。