三井寺と浮御堂に行く  2020年2月3日(月)

 

 今日は、滋賀県の三井寺と堅田の浮御堂に車で行きました。三井寺は、とても大きいお寺でした。

 三井寺のホームページには、次のように書かれていました。

「天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。」

 

<近江八景とは>

石山秋月 [いしやま の しゅうげつ] = 石山寺(大津市)

勢多(瀬田)夕照 [せた の せきしょう] = 瀬田の唐橋(大津市)

粟津晴嵐 [あわづ の せいらん] = 粟津原(大津市)

矢橋帰帆 [やばせ の きはん] = 矢橋(草津市)

三井晩鐘 [みい の ばんしょう] = 三井寺(園城寺)(大津市)

唐崎夜雨 [からさき の やう] = 唐崎神社(大津市)

堅田落雁 [かたた の らくがん] = 浮御堂(大津市)

比良暮雪 [ひら の ぼせつ] = 比良山系  の8つのこと。

 

<園城寺の始まり>

667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。

672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。

 

<三井寺の名の起こり>

三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。

 

<円珍和尚が園城寺を天台別院として中興>

貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、 正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

 

<観音巡礼の寺>

・西国三十三所観音霊場巡礼の第十四番目の礼所である観音堂がよく知られています。

その他にも

・「近江西国観音霊場・第五番札所(観音堂)」、

・「湖国十一面観音霊場・第一番札所(微妙寺)」、 「

・西国薬師霊場・第四十八番札所(水観寺)」として多くの信仰をあつめています。

 

<浮御堂>

「満月寺浮御堂(まんげつじうきみどう)は、滋賀県大津市本堅田、琵琶湖畔の臨済宗大徳寺派海門山満月寺にある、湖上に突き出た仏堂。近江八景「堅田の落雁」で名高い。堅田の浮御堂の通称でも知られている。寺伝によれば、源信(恵心僧都)(942年 - 1017年)が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、1000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建したという。「千仏閣」「千体仏堂」と称し、衆生制度とともに湖上通船の安全も発願した。 荒廃したときもあったが、桜町天皇(1720年 - 1750年)(在位1735年 - 1747年)は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。 風景絶佳の趣のある地で、古くより一休和尚、蓮如上人が滞在したり、松尾芭蕉(1644年 - 1694年)や、小林一茶、歌川広重、葛飾北斎等も訪れたりして、多くの詩歌、絵画を残している。 先代の堂は1934年(昭和9年)に室戸台風によって倒壊、現在の堂は1937年(昭和12年)に再建された。室戸台風の直後に竜巻も近くで発生している。「阿弥陀仏一千体」を安置して「千本仏」と称し、平安時代の「多数功徳作善信仰」を今日に伝えてもいる。」

 

<満月寺浮御堂境内の句碑>

松尾芭蕉

・鎖あけて 月さし入れよ 浮御堂

元禄四年の中秋名月の翌日、十六夜のお月見の宴で詠まれた句

・比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋

高浜虚子

・湖も この辺にして 鳥渡る

高桑蘭更

・病雁も 残らで春の 渚かな

阿波野青畝

・五月雨の 雨だればかり 浮御堂

 

<湖族の郷土資料館>

堅田の歴史・文化を築いた堅田衆をはじめ、資料を収集・保存・調査研究している町の資料館でした。

堅田の歴史・・・古世・中世・近世・近代と、堅田の移り変わりと歴史上の人物や時事をパネルや複製絵画で紹介。

堅田の作品・・・三島由紀夫、城山三郎、岡本一平、水上勉、吉川英治、川口松太郎等々、堅田をテーマにした作家とその作品を紹介。

芭蕉の足跡・・・浮御堂を望む二階座敷をそのまま残した展示室。二度来堅した芭蕉の足跡と千那、丈草、角上、其角など、ゆかりの人物も紹介。