四天王寺七宮の上之宮神社跡の確認 2020年1月22日(水)
今日は、午前中幼稚園に行き、午後からは四天王寺七宮の上之宮神社跡の場所を確認しようと歩きました。難波から歩いたので、日本橋駅、谷町九丁目駅、上本町駅近くを通り、上宮学園中学校・高等学校を目指しました。学生が駅に向かって歩いてくるので、それを逆にたどることで上宮学園の場所はすぐに分かりました。上宮学園の北側を東へと通り過ぎて、マンションの前に碑がありました。
大阪市立図書館のホームページに、次のような記述を見つけました。図書館の資料室が、おたずねに対して、お答えをしているページです。
「上之宮台ハイツというマンションの入り口軒下に「上宮之跡」と刻まれた石碑があり、ここが上野王子の跡地とされていますが、はっきりとしません。(大阪市天王寺区上之宮町4-40) 『大阪史蹟辞典』によると、「上野王子は上之宮のことだという」(上之宮…聖徳太子が四天王寺の鎮守として創祀した神社のひとつ)との記述があります。しかし「王子の祭神は天照皇大神で、上之宮は欽明天皇であるからおかしい」との疑問点があげられています。また『天王寺区史』では、「熊野九十九王子」の第四の王子であると紹介がされています。しかし場所に関しては、「天王寺中町欽明天皇神祠または上之宮にあったといわれる説と、生野国分町聖武天皇社であるとの二説」があるとされ、こちらでもはっきりとしません。雑誌「上方」141号(p.10)にも同様の二説の記述があります。上之宮は明治40年に大江神社に合祀され、現在残っているのはこの「上宮之跡」の石碑のみとなっています。」(大阪市立図書館・資料室)
上之宮神社跡と、熊野街道の第四王子跡が、同じ場所であるようです。予想外のことまで分かってきました。まずは、少し前から調べてきていた「四天王寺七宮」の全ての場所が、取り敢えず分かりました。下記のような四天王寺七宮の一覧を見ても、全て歩いて場所を確認したので、すっと頭に入ります。フィールドワークは大切だなと思いました。
<四天王寺七宮>
大江神社(夕陽丘町)
上之宮神社(上之宮町) - 大江神社に合祀。
小儀神社(勝山1丁目) - 大江神社に合祀。四天王寺東門前。
久保神社(勝山2丁目)
土塔神社(大道1丁目) - 大江神社に合祀。四天王寺南門前。
河堀稲生神社(大道3丁目)
堀越神社(茶臼山町)
また、「土塔神社」は場所が分かっていないと書かれていたので探していなかったのですが、次のような記述を見つけました。
「土塔宮 南大門の外にあり。 祭神牛頭天王。木地仏に、薬師・地蔵・皇太子の三像を安置す。 神宝に舞楽の面あり。悪魔降伏面と云ふ。 毎歳四月十五日午刻に土塔会あり。舞楽を奏す。 此土塔宮は郷中の生土神にて、近世まで、山鉾をわたし美麗の祭礼にて、当山の衆徒石の華表の左右に桟敷を打ちて見物しけるとなり。 土塔の旧跡以下に見えたり。」(摂津名所図会)
よく通る場所なので、四天王寺南門周辺を歩いてみたいです。
上之宮神社跡が、熊野王子の事と関係してきているので、大阪市と堺市の王子を書き出してみると次のようです。
1. 窪津王子 (八軒屋船着き場近く、現在は堀越神社にある)
2. 坂口王子 (南大江公園周辺が跡地と思われる。南大江公園には狸坂大明神の祠があり、そのちかくには、王子跡とされている榎木大明神。)
3. 郡戸王子 (高津宮神社が跡地とされているが確証はない。「摂津志」には高津宮の地に鎮座していた比売許曽神社が郡戸王子とされていたとの記述がある。)
4. 上野王子 (今回見た、上之宮神社跡?)
5. 阿倍王子 (何度か見ている)
6. 津守王子 (住吉大社内王子社。旧津守王子)
7. 境王子 (方違神社の北)
8. 大鳥居王子 (鳳大社)
四天王寺七宮、大阪七福神、熊野王子(熊野街道)、伊勢街道などの場所や道が分かってくると、昔の人々の動きが見えてきます。街の広がり、人々の娯楽、興味、生活が感じられます。今宮10日戎の日は、すごい人出です。また、毎月の四天王寺のお大師さん、太子さんの日も、大勢の人がお参りに行きます。阿倍野から四天王寺までの道は、年寄りの人の流れで埋め尽くされます。