孫に方位磁針を買う   2019年12月27日(金)

 

 今日は、孫と母への、お正月のプレゼントを買いに、あべのハルカスに行きました。長居まで歩いて行ったのですが、あまりに北風が強くて途中から地下鉄に乗ってしまいました。孫には、虫眼鏡と方位磁針を買いました。虫眼鏡は、虫をケースに入れて上からと下からのぞけるようになったものです。使い勝手はどうか分かりませんが、ダンゴムシなどを見るには丁度よいのかなと思います。アメリカの小学校に行ったとき教室に置いていたものと同じ形の観察用具です。方位磁針は、空間上の方位を身に付けるには、一つ持っていてもいいのかなと思います。母には、マグカップの少しいいものを買いました。

 私は、子どもの頃からあちこち遠くへ歩いていて、その時に、方位を身に付けたと思います。

 小学1年生の頃は、源ケ橋商店街の近くに住んでいて、商店街の端から端まで往復2㎞を歩いたことを覚えています。今でも時々、商店街を歩いている時の風景が、ふと夢に出てくることがあります。商店街は、途中で二股に分かれていて、そのどちらを選ぶかを迷っている場面と、商店街の終点は大きな自動車道に出てしまうのですが、アーケードを抜けた時の太陽のまぶしさが、脳裏に残っているようです。

 4年生の時は近鉄線針中野駅の近くに住んでいて、ひたすら真っすぐ南へ歩いて大和川の堤防まで探検したことがありました。地図も持たないで、往復4㎞を1人で歩いたことになります。途中、道が突き当りになればそこまでで戻ろうとドキドキしながら歩いたのですが、たまたま選んだ道が、大和川の堤防まで真っすぐにつながっている道だったので川を見ることができました。大和川を渡る橋にはつながっていなかったので、探検はそこまでとなりました。

 小学6年生の時は、堺市の五箇荘小学校のすぐ前に住んでいて、長尾街道をひたすら東へ歩いて、石川のすぐ横にある玉手山遊園地まで往復24㎞を歩いたことがありました。何時ごろから何時頃まで歩いていたのか、また、親にはたぶん知らせていないのですが、食事はどうしたのかなど、まったく記憶がありません。後日、担任の先生に誰か友達が告げ口をしていて、叱られるかなと思っていたら褒められたので、強く印象に残っています。24㎞は時速5㎞で歩いても5時間かかるので、どのようにしてその探検を成功させていたのか全く思い出すことができません。 

 中学生の時は、堺市から法隆寺まで26㎞を歩いています。

 今もよく歩きに出ます。なぜそんなことをしたくなるのかわからないのですが、小学生のころ2回引っ越しをしていて、小学校を3校、転校をしていたことも影響があるのかなと思っています。また、大人になってからも4回、引っ越しをしています。新しい道を歩きたくなる時、どんな気持ちで出発をするのかを考えると、自分の知っているエリアを広げたいという本能からの行動かもしれないなと思います。ウサギやキツネやいろいろな動物たちが、自分の行動範囲を持っていることと同じなのかもしれません。毎日歩きまわって、その縄張りをチェックしていること、成長と共にその範囲を広げていくことと関係しているのでしょう。

 小学校の先生を退職後、大学4校に教えに行っている時も、その大学周辺の道をよく歩きました。京都教育大学の場合は、朝から講義があったので、終わってから四方へ2時間程歩いてから帰りました。30回通ったので、京都周辺の道に詳しくなりました。他の3校は、午後から講義だったので、1~2時間ほどいろいろな方面から大学へ歩いて行き、その周辺の道のつながりの理解を深めました。

 東京で教科書の編集委員会がある時は、朝早く大阪を出て、東京へ9時過ぎに着くようにして、午後からある編集委員会開始までの3時間ぐらいを使って、東京の街をよく歩きました。年に数回行くときもあったので、その頃は、大阪より東京の地理の方が詳しくなっていました。最近は、ひたすら大阪の街を歩いています。

 方位磁針は、大きなビルの間の道に入ってしまったり、緩やかにカーブをする道を歩いていたり、曇り空になったりしたとき、時々リュックから出して使います。グーグルマップで現在地は分かるのですが、方位が分からなくなるので、町中でも方位磁針は必需品です。自動車道を歩いている時は、行先の掲示が時々あるので方位磁針が無くてもほぼ大丈夫なのですが、町中の細い道を歩く時、行先の方位が分かっていれば、迷路のような道に入っても大きく違う方向へ歩いてしまうことはありません。山では、今歩いている道、尾根、谷が伸びている方向を調べて、地図と比べる時に方位磁針を使います。孫は、これから将来、今回買ってあげた方位磁針を使って、どんな歩き方をするのでしょうか。