学びの環境  2019年12月16日(月)

 

 子ども達の学習の可能性は無限です。子どもは、大人が思っているよりも能力が高く、上手に使わせてあげないともったいないと思います。最近は、親や教師が口出ししすぎて、時間の使い方、物の見方、個性の探究など、子ども自身が深く学び込むことができない生活になっているような気がします。子ども達同士の交流の場と、個人がこだわって個別の追究ができるたくさんの時間と環境を保証していくような「育つ場」が大切だと思います。 

 今は、幼稚園の子ども達の育ちを見ているのですが、ここでも子ども自身が育つための時間が少ないのではないかと思うことがあります。子どもが育つ日々の時間において、保護者は、子どもが何に触れて、どんなことに集中して、どんな体験をし、どんな力や知識や技能を身につけるのかということをもっと考えて、見守ってあげないといけないと思います。食べ物を与えて、綺麗な服を着せて、可愛がるだけということにならないようにしなければいけないのです。子どもの時間をどのように見守るか、どんな環境に子どもを連れて行くか、その子が集中する興味は何なのか、どのような接し方をするのか、習得した学びを表現し褒めてもらえるところはあるのかなど、保護者は考え続けなければいけないと感じます。 

 自分の幼稚園の頃を思い出すと、父方の祖父母の家である瀬戸内海の小さな島で過ごした夏休みに海辺で何日間も遊んだこと、大阪天王寺の祖父母の家に1週間程泊った時に公園で虫取りをしたこと、近所の子ども達とセイタカアワダチソウが茂っている雑草のジャングルの中で基地を作ったことなど、いくつかの印象深い経験が、今も鮮明に残っています。

 子どもがその環境の中で、どっぷり浸りきること、自分で遊びを作り出すこと、飽きることなく次々とつながる新しい取り組みが連続していくという体験が、大切なのでしょう。「遊びの探究、遊びに浸りきる」と幼稚園の先生方がよく表現に使われている言葉に当たるのだと思います。しかし、そのような遊びに浸りきることは、幼稚園の中の活動では本当に可能なのかなと、少し疑問に思うことがあります。先生の存在が大きく、指示も多くあり、制約もとても多いからです。自分自身振り返ってみても、幼稚園の活動は殆ど覚えていなくて、唯一覚えていることが、家から持って行った牛乳瓶に、割りばしで、毛虫をたくさん集めていたことぐらいです。残念ですが、運動会も遠足も、何も覚えていません。入園式も卒園式も、たぶん先生方は気合を入れて取り組んでいたと思うのですが、全く記憶がありません。一方、幼稚園の頃、父が石油を運ぶタンカーの船長をしていて、船に泊りに行ったとき、船の中をあちこち探検をしたことはよく覚えています。昼間の船のいろいろな作業の様子、夜にライトがついている港と船の景色、どちらも素敵でした。操舵室、機械室、食堂、船の先端など、隅から隅まで探検をしていました。また、タンカーが港にいるときは、近くの浜で、貝拾いを延々としていたこともよく覚えています。

 記憶に残らない体験によって、その人の社会的基礎が養われることも多くあると思うのですが、印象に強く残っている体験は、その人の個性が伸びる時であるのかもしれません。いろいろな環境の中で、その子が何に興味を示し、その子自身が何をするのかということを見守るのが大切なのでしょう。

 学習も一緒です。例えば国語の「ごんぎつね」の学習という環境で、子ども自身がどのように関わり、何を学ぶのかは、その子の個性の問題です。また、理科の「磁石」の学習でも、どのように関わり、どんなことを発見するのかも、その子の体験であり、個性であり、その子自身を育てる環境であると考えます。学習単元は、遊び場、学びの場、学びの環境と捉えて、子どもの関わり方や追究の仕方を見守り育てるような学習でありたいものです。

 こぎつね幼稚園の年少3歳の子ども達が、幼稚園の中にある坂に段ボールを敷き詰めてもらっている所で、滑り台遊びをしていました。5mほどの長さ、幅2mほどに段ボールが敷かれた手作り滑り台です。幅が広いので、何人もが連なったりしながら滑り落ちていて、とても楽しそうでした。坂を登る時、滑って大変なので、裸足になっている子どもがいたり、靴下のままの子どもがいたり、いろいろ工夫していきます。靴下の子どもは、土で真っ黒になっているのですが、お構いなしです。頭から滑ったり、滑り降りた所に上から滑ってきた子どもがぶつかって団子状態になったり、電車のように何人もつながって滑って全員が横向けにこけてしまったりと、本当に楽しそうでした。たまに段ボールの坂からはみ出しそうなときだけ危ないので、押し込むことだけはしていました。飽きることなく、冬の日なのに汗をかきながら何度も何度も続けています。笑い声が途切れません。私はずっと見ていて、その状況があまりに楽しそうなので、何も口出しをしなかったのですが、時々活動を見に来られる先生は、子どもの興味がさめるような指示をしたり、大げさに褒めたりして、子ども達の遊びのペースを崩していきます。小学校でも、教育って、そんなことをしているんだろうなあと、その時感じました。