「布施駅~心斎橋駅」を歩く  2019年12月11日(水)

 

 先週、近鉄奈良線額田駅から玉造駅まで歩きました。その時ウォーキングの到達地にしていた心斎橋駅まで歩けなかったので、今日は、途中の布施駅からスタートして、玉造駅を通過して、心斎橋駅へと歩きました。

 暗越奈良街道は、前回歩いた府道702号線がそのままの街道筋ではなく、少し府道の北側、また、少し南側を通りながら、ほぼ府道沿いに暗峠へと続きます。詳しい地図を、次回の図書館で借りて確認してみたいと思います。また、先週は今里の長い商店街を初めて歩きました。この商店街筋は、暗越奈良街道には入らないということですが、玉造駅からほぼ直線的に真東へ、暗峠へと向かっているので、よほどこちらの方が奈良街道になるのではないかなとも思います。なぜ、この商店街の道が、奈良街道の道ではないのかも知りたいと思いました。

 布施駅から北へ、商店街の中を歩くと、今川商店街の東端につながります。府道702号線を渡って、今里商店街を、前回と同じく東から西へと歩きました。前回は、帰ってから商店街の名称が変わることを知ったので、今回はその名称を詳しく見ていくことにしました。最初は①深江新道筋です。アーケードがありませんが、道沿いにはいろいろな商店があります。次は②神路東商店会という名称が出てきます。アーケードが見えてきました。そこには③神路(かみじ)と平仮名で書かれた名称が見えます。ここからは、アーケードがずっと続くのですが、知らない間に名称が④新道商店街になっています。続いて⑤神路銀座です。さらに、⑥今里一番街になりました。この今里一番街のあたりはピンクの大きな「SALE」ののぼりが掲げられていて華やかです。次は⑦今里新道筋(振)と、微妙な名前が見られ、さらに⑧今里新道商店街という名称に変わります。アーケードの西側入り口には、今里新道商店街と⑨東成しんみちロード、今里新道筋、今里一番街と、四つの名称が挙げられていました。いろいろな名称の商店街が、一直線につながっていることが、確認できました。今回は、写真を撮ってきたので、その写真を確認しながら書き出してみました。商店街の名称のすべてがわかる案内板があればいいのにと思いました。次回は、それを探してみます。

 アーケードを出てしばらく進むと暗越奈良街道の道標があります。ここから玉造駅までは、暗越奈良街道を歩くことになります。商店街は、この案内板の地図を見る限りでは奈良街道ではないということが分かります。 

 玉造駅近くには、二軒茶屋跡の石碑がありました。「この付近は、旧奈良街への大阪側からの入り口で、街道の南北両側には、旅行者めあての茶店があり、俗に「二軒茶屋」と呼ばれて繁盛した。石橋は、付近を流れていた猫間川にかけられていたもので、正しくは黒門橋という。慶安三年(1650)幕命により、当時では珍しい石造の橋として架けられたと伝える。(東成区役所)」の説明板もありました。

 今は、茶屋の代わりにマクドナルドがありました。そこで、珈琲タイムをしました。 

環状線玉造駅の下を通り、西へと進みました。微妙に南西へとカーブしている道に入りました。前からなぜカーブしているのか不思議に思っていた道を歩くと、空堀商店街へとつながっていきました。そのカーブしている道は、「空堀」と関係していると思うのですが、詳しく調べてみたいです。真田幸村の戦いの場所であるとも聞きます。

 空堀商店街は、とても急な坂道にある商店街です。なぜこんな坂道に商店街があることも、ちょっと不思議です。今日は、布施の商店街、今里の商店街、そして、空堀商店街と、三つの商店街を歩きました。最後は、西長堀から心斎橋までの地下街の商店街を歩き心斎橋に到着しました。