糸井重里『あたまのなかにある公園』を読む 2019年11月13日(水)
糸井重里『あたまのなかにある公園』2010年を読みました。本を読んだ時、一部分を書き出すことで、少しその人の言い回しや、考え方や、生き方を、取り込んだような気がします。本当はペンでノートに書く方が良いのですが、今はブログに書き溜めるようにしています。後で、思い出す時に便利だからです。ノートに書いてしまうと、検索が出来なくて、二度と目に止まることがないからです。
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▼ずっと前に「魚を飼うことは水を飼うことだ」と、書いたことがあります。水が魚を飼うのによい状態になっていれば、魚は自然にうまいこと生きていけます。
▼「ゴールは遠いなあ」と、がっかりするのも道のりです。
▼ある事実なり、法則なりを、完成形で教えてもらうよりも、いっしょに考えながら、いっしょに見つけるほうが、人間の興味をひく。
▼「すごいなあ」がちゃんと言えるようになるのが、ある意味で、ぼくの人生の目的かもしれないのです。自分にできないことだらけの世の中で、それが「すごい」ことさえわからないまま、やりすごしたりなめたりしていることが多いんです。でも、自分の側の経験が増えていったり、学んだりすることが多くなったりするにつれて、「すごいなあ」と言えるようになってくる。
▼そんなことは誰だってわかっていた。しかし、そのことが実感としてわかるということは、まったく別のことた。
▼気が利いている人、というのは、こちらの思考や行動を「予測」して、ほんの少し「未来」に合わせて対応してくれる人。そう定義できるかもしれない。
▼どんどん「使い回し」されたり、みんなから「ありあわせ」だと思われたりするようなモノやヒトやコトが、実はいちばん可能性に満ちている。
▼同じことを、「できる」と思っている人と、「できない」と思っている人とでは、「できる」可能性がぜんぜんちがうと思うんです。
▼じぶんの「よくないところ」というのは、じぶんの「いいところ」が存在するための、理由だったりするんです。
▼たくさんの変化が、あちこちで起こっています。「横じゃなく、前を見て歩く」と、まじないのように唱えながら日々を送ろうと思います。横ばかり見ている人と、横ばかり見ている人が、集まっていつまでも話をしていても、前がどっちだかわからないですもんね。
つい、教育のことを考えてしまうのですが、「そうそう」と思える言葉をたくさん見つけることができました。上手に表現するなあと、感心しながら書き出してみました。