渡辺淳一『遠い過去近い過去』を読む  2019年11月6日(水)

 

 家から、奈良にあるこぎつね幼稚園までの行き帰りの電車で、渡辺淳一『遠い過去近い過去』1995年角川書店、を読みました。渡辺淳一さんの小説は、何冊か読んだことがありますが、エッセイは初めてです。

 ネットで渡辺淳一さんについて調べてみました。

「1933年に生まれる。1964年札幌医科大学助手、1966年同大医学部整形外科教室講師。医業と並行して、北海道の同人誌に執筆を続ける。同大学の和田寿郎教授による和田心臓移植事件を題材にした『小説・心臓移植』(1969年3月。後に『白い宴』と改題、角川文庫)を発表し、大学を去る。1970年、37歳の時に総理大臣寺内正毅をモデルとしたとされる『光と影』で第63回直木賞を受賞し、本格的に作家活動を開始した。直木賞、吉川英治文学賞、中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、島清恋愛文学賞選考委員。2014年4月30日東京都内の自宅で死去。享年80。代表作には、『光と影』(1970年)、『花埋み』(1970年)、『遠き落日』(1979年)、『ひとひらの雪』(1983年)、『化身』(1984年)、『失楽園』(1997年)などがある。」

 エッセイの中に、小説で京都のお座敷の世界を書く時、言葉使いや作法など、その世界で、かなりお金と時間を費やして初めて分かる事があると書かれていました。小説が映画化されたとき、監督や衣装係の人が、京都のお座敷の世界で遊んでいない人が手掛けた場合、正確な表現ができていなくて、完成した映画を見た時、少しがっかりしたと書いていました。また、海外を舞台にした小説を書く時も同じで、その国の四季の自然と生活を過ごして初めて書けることがあるとも書いています。小説家は、その世界で深く体験してから書くと、よりリアルな情景描写、心理描写が表現できることが分かりました。前回読んだ眉村卓さんのエッセイも同じですが、有名な作家も、苦労をしながらテーマを見つけ、深めて、作品にされていく過程が、エッセイから感じることができました。

 今日は、「難波から大阪城を通って天満橋駅」を歩きました。難波、日本橋、松屋町筋、空堀商店街、熊野街道、難波の宮跡、大阪城、天満橋駅というコースです。平日の午後ですが、大阪城には多くの外国人観光客が来ていました。大阪城は、最近何年間も梅園を通るコースしか通らなかったのですが、久しぶりに天守閣のすぐ下まで行きました。昔からあったお店がなくなっていたり、新たに天守閣にエレベーターがついていたりと、周囲の様子が随分変わっていました。G20大阪サミットが、今年2019年6月末にこの大阪城の前で行われていて、その時に向けてかなり整備もされたのかもしれません。今回、久しぶりに大阪城天守閣の近くを通って、とても大量の石が、石垣に使われていることを今更ながら感動しました。エジプトのピラミッドも凄いのですが、この大阪城の石垣の石も、どうやってこんなにたくさんの花崗岩を集めて、大規模に積み上げることが出来たのかと感心してしまいました。

 久しぶりに行くと、改めて見直すことがあって、感動することができました。