眉村卓『歳月パラパラ』を読む 2019年11月4日(月)
眉村卓さんのエッセイ、眉村卓『歳月パラパラ』2014年出版芸術社、を11月1日(金)に大阪市立中央図書館で借りて読みました。そして昨日、眉村卓さんが11月3日に亡くなられたと訃報をネットで見かけました。今読んでいる本の筆者が亡くなるというのは、何かショックを感じます。
眉村卓さんは、ネットでは、次のような紹介があります。
「1934年に大阪府大阪市西成区で生まれる。大阪府立住吉高校を経て1957年大阪大学経済学部卒業後、大阪窯業耐火煉瓦株式会社(のちの株式会社ヨータイ)に入社、日生工場(現岡山県備前市日生町)転勤。
1958年に大阪窯業耐火煉瓦を退社、株式会社大広の嘱託コピーライターとなる。
1960年からSF同人誌『宇宙塵』に参加する。1961年に「下級アイディアマン」が第1回空想科学小説コンテスト(のちのハヤカワ・SFコンテスト)に佳作入選しデビューする。
1963年には大広を辞め、初めての単行本である処女長編『燃える傾斜』を発表。
1965年から専業作家としての活動を開始する。
1979年には、『消滅の光輪』にて第7回泉鏡花文学賞および星雲賞を受賞した。
1987年に『夕焼けの回転木馬』で第7回日本文芸大賞を受賞。
1996年に『引き潮のとき』で2度目となる星雲賞を受賞した。インサイダー文学論を提唱し、組織と個人の葛藤を作品のテーマとしている。また多数の短編SFやエッセイ、ジュブナイル小説を執筆した。作家活動以外ではラジオパーソナリティも務めた(『チャチャヤング』(毎日放送)、『男のポケット』(FM大阪))。
ジュブナイル小説の代表作にはNHK『少年ドラマシリーズ』などでテレビドラマ化された『なぞの転校生』、『ねらわれた学園』などがある。ジュブナイル小説の多くが絶版となったが、2003年から講談社の青い鳥文庫から4冊が復刻されている。
日本SF作家クラブ会員だが、1992年から2008年まで退会していたことがあったという。
大阪芸術大学大学院の芸術研究科教授[8]、平安女学院大学文化創造センター客員教授も務めた。
2006年から、産経新聞夕刊(大阪本社発行)の読者投稿欄『夕焼けエッセイ』(2019年4月から朝刊『朝晴れエッセイ』)の選考委員を務めた。
2009年11月に、癌で2002年に死去した妻・悦子に日々、自作のショート・ショートを捧げた実話をもとにした、映画『僕と妻の1778の物語』が製作発表され、東宝配給で2011年1月に公開された。2012年6月には「笑うは薬」堀内孝雄歌唱でエピソードがCD化された。
2012年より、泉大津市オリアム随筆賞の選考委員に就任した。2013年、他のベテラン作家とともに、日本SF作家クラブの名誉会員に。
2019年11月3日、誤嚥性肺炎のため大阪市阿倍野区の大阪鉄道病院で死去。85歳没。」
今読んでいるエッセイは、眉村さんのこれまでの人生を辿るような内容でした。大阪で生まれて、一時期堺でも生活をされて、大学、企業への就職など、いろいろなことを思い出しながら書かれていました。上記の履歴の内容が分かるような本でした。そして、亡くなられたのは阿倍野区の大阪鉄道病院だということです。先週の金曜日、中央図書館に堺市から歩いて行くとき、病院のすぐ近くを通っていました。眉村卓さんが、入院されていたのだと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。