「金岡神社から古市駅(竹内街道)」を歩く 2019年11月2日(土)
「さんぽノート」を2年前の2月11日から書いてきて、今は1年半を過ぎたところです。ノートは、コクヨキャンパスノートA5版30枚を使っています。歩いた記録は、地図と文章で1ページに書くようにしてきているので、今日の236回目の「金岡神社から古市駅(竹内街道)」を歩いた記録は、5冊目の第1ページ目となりました。ノートが5冊目になって、またやる気が出てきました。少し前、金剛山に登りましたが、2000回登頂、3000回登頂記念として、葛城神社に石碑を奉納されているのを見ました。私は、このノートの記録が、歩いた記録となっています。
今日は、家から古市駅まで、竹内街道を歩きました。前にも何度か歩いているのですが、街道マップを確認すると、数か所違う道を歩いていることがわかり、今日はそのところを修正しながら歩きました。古市駅までは10㎞なので、2時間で歩けます。家の近くを竹内街道が通っているので、日本最古の官道、飛鳥への道にはすぐに入ることができます。金岡神社で今日のウォークの無事をお祈りして出発しました。金岡神社からは、ほぼ真東に道は伸びています。大泉緑地の南側を通り、いくつかの池の横を通りながらどんどん東へと進みます。竹内街道が奈良盆地へと越える竹内峠のある二上山が次第に大きく見えてくることで、進んでいることが実感できます。
竹内街道をネットで調べてみました。松原市のページには次のような記述がありました。
「日本遺産 竹内街道・横大路(大道)・・平成29年4月5日に開催された日本遺産審査委員会(文化庁)の審議を経て、『1400年に渡る悠久の歴史を伝える日本最古の国道「竹内街道・横大路(大道)」』が、府内で初めて日本遺産に認定されました。この申請は、街道沿線の大阪市・堺市・松原市・羽曳野市・太子町・葛城市・大和高田市・橿原市・桜井市・明日香村と大阪府・奈良県の12自治体が共同で行ったものです。春分と秋分の日、太陽は三輪山から昇り、二上山を超えて大阪湾に沈む。このことから、推古天皇21年(613年)に東西の直線で敷設された幅20メートルを越える大道(竹内街道・ 横大路)は、太陽の道と言われる。古代には、大陸からの使節団が難波宮から飛鳥京を訪れ、先進技術や仏教文化を伝えた。中世には経済は都市を結び、近世には伊勢参りの宿場町としての賑わいを見せ、場所ごとに様々な表情を浮かべる。1400年の歴史の移り変わりを周辺の歴史遺産を通して感じさせる日本最古の国道。それが竹内街道と横大路(大道)なのである。」
中央環状線を通り過ぎたところで、これまでほぼ真東へと進んでいた竹内街道は、少し南東へと進む区間があります。工場の間を通るところなので、以前はその道を避けて東除川沿いを歩いていたのですが、今回は、グーグルマップを調べながら忠実に街道を辿ることができました。もう一か所、違って歩いていたところは、野中寺のある所から南東へと進むところを、これまでは車道を歩いていたのですが、車道の少し西側に竹内街道に指定されている細い道があることが分かり、今回はその道も辿ることができました。
羽曳野市の峰が丘古墳のある公園からあと少しで古市駅です。真っすぐな広い道を歩きましたが、竹内街道は、白鳥古墳に沿った細い道が指定されていました。この部分については、駅に着いてから、古市古墳群の観光パンフレットを見て分かりました。次回は、この部分を修正して、古市駅へと歩きたいと考えました。
記念すべき「さんぽノート」5冊目の第1ページに、竹内街道歩きを書くことができました。