近所のさんぽ 2019年9月23日(月)秋分の日
今日は、台風が日本海側を通っているので、風がとても強く吹いて、午前中は雨が降るような天気でした。大阪でも空がゴーゴー、ビュービューと鳴るような強風でした。沖縄や長崎や宮崎では、強風で被害が出ている大型の台風です。さらに、暖かい空気を熱帯から持って北上をしてきているので、大阪では最高気温が32度、最低気温も26度になりました。昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われているように、お彼岸まで我慢すれば涼しくなると思っていたのですが、23日もまだ残暑を感じるお天気でした。困ったものです。地球規模の温暖化が進んでいるのでしょうか。
天気が良いのなら、祝日の今日、中山道を歩きに行こうと思っていたのですが、気温も高いし、風も強いし、雨も時々降るので、中山道へは明日歩きに出ることにしました。午後から風が少しおさまり、晴れ間ができたので、家の近くを歩くことにしました。今日は、竹之内街道と長尾街道のちょうど間を通る、金岡神社と長曾根神社と方違神社をつなぐ道を歩きました。街道には指定されていないのですが、これまで何度か歩いてきて、おそらく古代からの道だと考えています。また、長曾根神社と方違神社の途中には、史跡三國山遍照光院向泉寺閼伽井跡があります。ネットではつぎのような2つの資料がありました。
「史跡三國山遍照光院 向泉寺閼伽井跡は、堺市にある。行基は、天平15年(743年)、聖武天皇の命で方違神社の南側に勅願寺院向泉寺を開基した。行基は、まず閼伽井を得ようとして一泉を堀り、これに向かって金堂その他諸堂堂宇と多くの学僧を擁する大寺院を建てた。この地は摂津、河内、和泉三ヶ國の界に位置していたので三國山遍照光院と号し、堂宇が泉に向かっているので向泉寺と名づけた。また、この寺が和泉の國に向かっているので向泉寺と称したともいわれている。閼伽井は、境王子、方違神社、東原天王(向井神社)の三社の祭祀用水に用いられ、また諸病に霊験ありといわれた。しかし、永正年間(1504-1520)に寺は兵火に遭い、市中に移った後は訪れる人も減り、享保年間(1716-1735)に廃寺となった。」
「向泉寺といっても耳慣れないお寺ですが、奈良の大仏で有名な聖武天皇が行基に命じて創建されたお寺で、三国ヶ丘一体から百舌鳥のあたりまで広がっていた広大なお寺だったそうです。丁度建立されたころ、河内国が分割されて、河内・和泉・摂津の国が出来て、その境にあることから向泉寺の山号は「三国山」とされたそうです。」
神社や寺院は、その周りで支えている人たちの生活があり、また、大きな神社や寺院だとお参りをするための道も必要です。古代からある大きな神社や寺院は、それらをつなぐ道が必ずあったと思われるので、その道は街の中に残ってきているはずです。多くの道は、格子状に整理されてきているのですが、その格子を突き切るようについているのが、古代からの道の場合と、川の流れの跡の場合です。道と川跡を見極めながら、昔からの道を探し出すのは面白いフィールドワークになります。研究者は、明治時代の地図と突き合わせたり、江戸時代の絵地図と比べたりしながら、昔からの道を研究しているようです。明治時代の地図を、見てみようと思います。