道について  2019年7月12日(日)

 

 ロバート・ミューア『トレイルズ』を読み終えました。アパラチアントレイルをはじめロングトレイルの定義は、自然保護された森の中の道を指します。アパラチアントレイルは3500㎞続いているのですが、細長い国立公園のような地域として保護を受けています。このロングトレイルは、宿泊地がところどころにあって、歩く人のためにいろいろな設備が整っているような道ではないようです。テントをかついで、野宿をしながら歩き続ける道です。晴れている時はまだいいのですが、雨が続くと、とても大変そうです。5か月ほど歩き続けると、自然の中を駆け回ることが出来る体になってきて、一日に歩ける距離もずいぶん伸びるようです。しかし、5か月後に、再び都会の生活に戻ると、一気にあちこちが痛くなり、1か月間ほどは朝起きると、しばらくは動けないというような状態になるらしいのです。自分も、これまで仕事を懸命にしているとき、毎年、夏休みや冬休みに入った瞬間、2、3日動けなくなるのとよく似ています。

 ロングトレイル歩きだけでなく、アメリカの隅から隅へとひたすら道を歩き続けている人の紹介もありました。殆ど荷物を持たないで、通り過ぎる人に支援をしてもらいながら、歩き続けている人です。アメリカは車社会なので、街から離れた道を歩いていると目立ちます。車で走っている人が、声をかけるようです。その時、水をもらったり、食べ物を支援してもらったりしながら、歩き続けています。ガソリンスタンドからガソリンスタンドをつなぐように歩いているのですが、その間は長く、車で通りかかる人の善意がないと、水の補給ができなくて生きていけないということです。その人の生活は、基本的には、年金のような社会保障のお金で暮らしています。その範囲内で、日々の生活を過ごしているようです。日本でも、年金だけで、街から街へとテント生活をしながら歩き続ける生活はできるのでしょうか。この人は、すべての財産を処分して、家族からも離れて、歩き続けているということでした。

 昔の、お遍路も、同じように人々の施しに助けられて歩き続けている人もいたと思います。施しがうまく受けられなくて、途中で亡くなる人もいたことでしょう。また、けがや病気で、亡くなる人も多くいたでしょう。巡礼を生き抜いた人が、お遍路を終えてまた再び日常の生活に戻っていったのだと思います。旅先で亡くなるというのは、その周りの人にはとても迷惑ですが、家族には迷惑をかけない死に方だったのかもしれません。年をとって家で亡くなるのではなく、歩き続けて亡くなるのはいいかなと思います。芭蕉の境地に近いのかもしれません。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらへて老を迎ふる者は、日々旅にして、旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり」 元禄2年3月27日、松尾芭蕉は深川を出発し、2400㎞、およそ5カ月に及ぶ旅に出ました。住み暮らした家は他人に譲り、「草の戸も住みかはる代ぞひなの家」の別れの句を柱にかけています。

 道は、何処までも続いています。歩くことで、自分が生きている実感があります。子どもの頃は、幼稚園、小学校、中学高校、大学と、成長の道を歩き続けてきました。大人になってからも、仕事という坂道、迷路、藪の中、崖沿いの道を懸命に歩いていました。もしかしたら、整備・保護されたロングトレイルより、危険な道だったかもしれないなと、今更ながら振り返ることができます。

 これからは、芭蕉に見習い、細道を探して歩きたいと思います。