西高野街道を12㎞歩く  2019年6月20日(木)

 

■滝谷駅~西高野街道~白鷺駅~家 (12㎞)

 

 今日は、西高野街道を歩きました。これまで、まだ歩いていない部分を歩くことができました。昨日の天気予報では、最高気温が30度を超えると言っていたので、朝から歩くことにしました。家を6時過ぎに出て中百舌鳥駅6時25分の電車に乗り、滝谷駅を7時に歩き始めました。滝谷駅から東へ歩きます。通勤、通学で殆どの人が駅へ向かって歩いてくる中、駅から離れるように歩いている人はいません。駅から500mほど歩くと、以前歩いたことのある西高野街道に出ました。そこから北西に堺市の大小路に伸びる街道を歩き始めました。少し歩くと高野山10里道標があります。ここからは真っすぐ伸びる道を北西に歩きます。信号二つ目、茱萸木大師堂の所で左に曲がります。そしてすぐに右に折れて手塚山大学狭山キャンパスの横を通る道を辿り、牛瀧地蔵尊のある所で川を渡ります。以前は、この二つ目の信号の所を真っすぐに歩いていたので、西高野街道から離れてしまっていました。今回は、ここで曲がり、牛瀧地蔵尊へと向かい西高野街道を辿ることができました。

 川を渡った所にある牛瀧地蔵尊の前は、大きな交差点です。ここからは、かなり急な坂道を登ります。自転車で下るには怖いほどの坂道です。学生も、通勤の方も歩いています。500mほど坂道を登りきったところで、少し前に通った天野街道との分かれ道に出ました。そこからさらに500mほど北西へ歩くと、狭山池近くには高野山11里道標があります。高野山11里道標から次の高野山12里道標(白鷺公園近く)までは、真っすぐ直線的に街道が続いていきます。歩きやすい道です。時々「西高野街道」という、最近建てられた石標もあり、街道を歩いているなと感じることができます。また、古い立派な木造の家が残されている地域は、道に色が付けられていて、歴史的な雰囲気を保存している地域であることが分かります。今回は、12里の道標を過ぎて、白鷺公園から西高野街道を離れて家へと向かいました。家には9時30分に到着しました。やはり暑かったです。もう一時間早く歩き始めるとよかったかなと思いました。

 今回歩いた西高野街道をグーグルマップで12㎞分を一気に表示すると、ほぼ真っすぐな道でした。今回は、2回ほど曲がり角を曲がっていますが、昔はその曲がり角は無かったのかもしれません。昔の人が、堺の仁徳陵の北側から、紀見峠を目指して真っすぐに歩くことによって、この西高野街道ができていったのでしょう。おそらく、昔は原生林があちこちに残るような丘陵地だったと思います。目的地に真っすぐ向かう人の意志の積み重ねによって、古代の道は真っすぐに進んでいたと思われます。

 1里ごとに、堺の大小路交差点から高野山まで、石の道標が残っています。この道標について調べてみました。高野山13里道標は、仁徳天皇陵のすぐ北側にあります。竹内街道と西高野街道が分かれる所に建てられています。13里と12里(白鷺公園近く)の間は4.9㎞、12里と11里(狭山池近く)の間は4.6㎞、11里と10里(滝谷駅近く)は3.3㎞、10里と9里(河内長野駅近く)は3.7㎞、9里と8里(三日市駅近く)は2.4㎞と、きっちり4㎞ことに立っているわけではありませんが、だいたい4㎞ごとになっています。さらに、七里は天見駅近く、六里は紀見峠手前、五里は紀見峠を越えて林間田園都市の近く、四里は橋本市内、三里は学文路駅近く、二里は九度山町立河根中学校近く丹生川沿い、一里は紀伊神谷駅近くの山中です。グーグルマップでも、それぞれの里道標石の位置が検索できます。

 今回、12里から10里道標の間がつながりました。これで、紀見峠近くまではつながったことになります。しかしまだ、高野山までは5里もあります。