西国三十三所観音巡礼 2019年5月23日(木)
西国三十三所観音巡礼が令和元年度の日本遺産に登録されることを知りました。大阪、奈良を歩いていると、時々西国三十三所のお寺であると書かれているのを見ることがあったので、西国三十三所とは、どのお寺なのかを全て調べてみることにしました。ネットできちんと整理されている人がいるので、その一覧をコピーさせてもらいました。観音信仰なので、それぞれ、如意輪観音、十一面観音、千手観音、不空羂索観音、聖観音、馬頭観音などが安置されています。
西国三十三所観音巡礼が始まったのは11~12世紀ごろからということなので、かなり古くから巡礼がおこなわれていることが分かりました。また、江戸時代に活発に庶民が歩くようになったことが、下記のようなネットの情報から学びました。
▼江戸時代には観音巡礼が広まり、関東の坂東三十三箇所や秩父三十四箇所と併せて日本百観音と言われるようになり、江戸時代初期からは「巡礼講」が各地で組まれ団体の巡礼が盛んに行われた。地域などから依頼を受けて三十三所を33回巡礼することで満願となる「三十三度行者」と呼ばれる職業的な巡礼者もいた。これら巡礼講や三十三度行者の満願を供養した石碑である「満願供養塔」は日本各地に残っている。江戸からの巡礼者は、まず伊勢神宮に参拝した後で第一番の青岸渡寺へ向かい、途中高野山・比叡山などにも参拝しつつ、結願の33番谷汲山を目指した。そして帰途にお礼参りとして信濃善光寺を参拝するのが通例となっていた。三十三所で巡礼を終わらせずに別の寺院にも参拝している理由としては、江戸からの行程の途中に善光寺があること、観音の本地が善光寺阿弥陀如来とされたことなどが指摘されている。一方、お礼参り(=巡礼の終了)の善光寺を敢えてしない巡礼者もいた。「巡礼の終わりは死に急ぐ」という俗信に依ってだという。
江戸からお伊勢参りをして、その後西国三十三所観音巡礼をして江戸へ戻るとなると、ちょっと考えられないような距離を歩きます。2000㎞は歩いています。昔の人はすごかったということですね。ちなみに、四国八十八箇所の遍路道は約1400㎞あり、西国三十三所観音巡礼は約1000㎞です。
西国三十三所観音巡礼のコースを歩いて回るにはかなりの距離になりますが、近畿圏のお寺なので家から日帰りで大部分は歩ける可能性があります。那智の青岸渡寺から紀三井寺へは196㎞もあるのでここは車で移動し、紀三井寺以降は、それぞれのお寺の間はほぼ一日で歩ける距離となっているので歩いてみることは出来そうです。一日30㎞歩いて、30日間です。日本遺産に登録されて、さらに脚光を浴びるので、歩き始める人もいるんだろうなあと思います。
西国三十三所参りは、那智山青岸渡寺から、岐阜県谷汲山華厳寺まで総延長1066㎞の道です。
001 那智山 青岸渡寺 和歌山県 196km
002 紀三井山 金剛宝寺 (紀三井寺) 和歌山県 28.8km
003 風猛山 粉河寺 和歌山県・大阪府 34.4km
004 槇尾山 施福寺 (槇尾寺) 大阪府 27.9km
005 紫雲山 葛井寺 大阪府・奈良県 35.2km
006 壺阪山 南法華寺 (壺阪寺) 奈良県 9.1km
007 東光山 岡寺 (龍蓋寺) 奈良県 13.2km
008 豊山 長谷寺 奈良県 25.8km
009 興福寺 南円堂 奈良県・京都府 28.4km
010 明星山 三室戸寺 京都府 7.6km
011 深雪山 上醍醐 准胝堂 (醍醐寺) 京都府・滋賀県 21.5km
012 岩間山 正法寺 (岩間寺) 滋賀県 5.6km
013 石光山 石山寺 滋賀県 9.9km
014 長等山 三井寺 (園城寺) 滋賀県・京都府 15.1km
015 新那智山 今熊野観音寺 (観音寺) 京都府 2.6km
016 音羽山 清水寺 京都府 1.6km
017 補陀洛山 六波羅蜜寺 京都府 2.7km
018 紫雲山 六角堂 頂法寺 京都府 1.6km
019 霊麀山 革堂 行願寺 京都府 18.5km
020 西山 善峯寺 京都府 18.9km
021 菩提山 穴太寺 京都府・大阪府 26.9km
022 補陀洛山 総持寺 大阪府 13.2km
023 応頂山 勝尾寺 大阪府・兵庫県 21km
024 紫雲山 中山寺 兵庫県 45.3km
025 御嶽山 播州清水寺 兵庫県 36.8km
026 法華山 一乗寺 兵庫県 19.7km
027 書寫山 圓教寺 兵庫県・京都府 136km
028 成相山 成相寺 京都府 54.7km
029 青葉山 松尾寺 京都府~滋賀県 62.6km
030 竹生島 宝厳寺 滋賀県 55.5km
031 姨綺耶山 長命寺 滋賀県 15.4km
032 繖山 観音正寺 滋賀県・岐阜県 74.5km
033 谷汲山 華厳寺 岐阜県