竹内街道を歩く 2019年5月17日(金)
昨日は百舌鳥と古市の古墳群が世界遺産になるかもしれないと分かったので、その両古墳群をつなぐ竹内街道を歩きました。中百舌鳥から古市駅までちょうど10㎞でした。12:30に家を出て、東へと歩き14:30には古市駅に到着しました。丁度よい歩きコースでした。
家のすぐ近くには、竹内街道が通っています。金岡小学校の前を通り、まずは金岡神社でお参りをしました。金岡神社のすぐ前には、竹内街道の解説板が設置されています。その周辺が古い街道の風情を残しているということで、道がカラー舗装されています。
大泉緑地の南側を通り、北八下町を通り、松原市に入ります。松原市の岡公園にも、竹内街道の解説板が設置されています。また、岡公園から200mほど東には、中高野街道との交差点があります。中高野街道とは、南の高野山から北の平野郷へと続く道です。近年まで、岡公園近くは宿場町のように歩く旅人のための宿や休憩所があったようなことも書かれています。石碑が保存されていたり、詳しい説明板が建てられていたりして、松原市も歴史を大切にするいい街だなと思いました。
この交差点から中高野街道を南へ1㎞ほどの所には、堺市立みはら歴史博物館があります。前に一度行ったことがあります。この博物館周辺には、銅を鋳造する村があったということを知ることができました。また、近くには黒姫山古墳があり、ネットで調べると次のような解説がありました。
▼黒姫山古墳・・百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間に位置する前方後円墳で、前方部は西側を向いている。 大きさは、全長114メートル、後円部は直径64メートル・高さ11メートル、前方部は幅65メートル、高さ11.5メートルである。 北側くびれ部に造り出しがあり、墳丘の周囲には幅約15メートル前後、深さ約2メートルの濠がめぐっている。 平坦部の古墳としては珍しい幅約5メートルの周庭(しゅうてい)が濠の外側を取り巻くように存在する。古墳時代の中期(5世紀中頃)に周辺を勢力圏としていた豪族の丹比(たじひ)氏によって築造されたと考えられている。
お寺の鐘や仏像などを鋳造する技術を持ったいた、丹比氏一族の村がこの博物館周辺にあったようです。
松原市を通り抜け中央環状線を渡り、少しだけ南へ進んでから、次は羽曳野市を通る竹内街道を東へと歩きます。道沿いにはいくつか池があり、道は少し上がったり下がったりしながら東へと続きます。野々上には、野中寺があります。ネットで調べると次のように書かれていました。
▼野中寺・・伝承では聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた蘇我馬子が開基とされる。また「上之太子」叡福寺、「下之太子」大聖勝軍寺とともに三太子の一つに数えられ、「中之太子」と呼ばれている。境内に残る礎石から、飛鳥時代~奈良時代前半には大規模な伽藍が存在したことは明らかで、渡来系氏族の船氏の氏寺として建てられたという説もある。創建時の堂塔は南北朝時代までに兵火を受けて全て焼失しているが、境内には中門跡・金堂跡・塔跡・講堂跡・回廊跡など法隆寺式伽藍配置を示す礎石を存留しており、「野中寺旧伽藍跡」として国の史跡に指定されている。
野々上からしばらく南東へと進む道をたどり、峰ケ塚古墳公園から再び東へ向かい古市駅へと到着します。古市駅は羽曳野市でした。