長居植物園  2019年4月25日(木)

 

 今日は、3歳の孫と一緒に長居植物園に行きました。長居公園の駐車場は、平日は1時間100円ですが、休日はとても高くなります。

 4月の今頃は、ボタン園とシャクナゲ園では、綺麗に咲いた花々が見られました。ノダフジも咲いていました。サトザクラの関山(かんざん)の下で、おにぎりを食べました。ウメ、サクラ、フジ、アヤメ、ボタンと、次々に少しずつ季節をずらして咲いていくのを感じることができます。日本製のカルタである花札も、季節と共に咲く日本の自然の美しさを生かしてつくられてきているのでしょう。

 遠足で、多くの幼稚園や小学校の子ども達が植物園にきていました。先生と一緒に、並んで広い植物園を回っている学校があったり、子ども達だけでグループになってオリエンテーリングをしていたりと、植物園の見方はさまざまでした。自分が先生をしている時、植物園には連れて行ったことがないのですが、自分なら植物園に行くと、どのように活動をさせるかなとつい考えてしまいました。動物園は、1年生担任の時に遠足で行きました。動物園に行く前に、自分が特に調べたい動物について独自学習をしてから行くようにしていました。自由研究発表も事前にしていました。それから動物園学習に行っていたので、みんなで回る時には、それぞれの動物の前で、詳しく調べた子どもが説明をしたり、みんなでお尋ねをしたりするというような取り組みをしていました。また、昼食後には、自由にメモを取りながら見て回る時間も大切にしました。大人が作ったオリエンテーリングの番号を回るようなことはしていませんでした。「そこに行って、その子は何をするのか、何をみつけるのか。」という、その子自身の探究力や創造力を付けるような活動をさせなければいけないと思っていました。チコちゃんに叱られるという番組がありますが、折角そこへ行くのですから、ぼーーっと見ているような子どもにさせないようにしたいと考えていました。

 幼稚園の子ども達は、並んでボタン園の中を歩いていました。園児たちは殆ど花を見ていません。果たして園児は、花を見て綺麗とか思うのでしょうか。秋の落ち葉拾いを、園児と一緒にしたことがあるのですが、園児は、赤い葉っぱを、特別綺麗だと思わないことを少し前に気が付きました。孫は、一緒に葉っぱ拾いをしていて「この葉っぱきれい?」と聞いてから袋に入れていました。幼稚園で葉っぱ拾いをしている子どもも、赤く紅葉した葉だけでなく、茶色も、緑も、黄色も、一緒に拾って袋に入れていきます。大人もこの園児と似たところがあり、春にも赤くなる葉っぱはいろいろあるのですが、大人はそれらを見て、綺麗だとは思いません。春には、赤くなっている葉っぱを集めようとはしません。綺麗だということは、教えられること、文化的に身に付けることであるのかもしれません。花を見て回ることも、紅葉の落ち葉拾いと同じことかもしれません。ボタンも、シャクヤクもとても綺麗に咲いているのですが、園児にとっては、単に大きな花でしかないのかもしれません。大人は、咲かせることが難しい、めったに見られない、他の花よりも大きさや色が特別優れているなどの観点を持って見ていて、貴重な花、豪華な花、綺麗な花として、それらを認識しているのでしょう。子どもは、その比較の観点が育っていないので、優れていて美しいという見方の感覚がまだないのだと思います。ネモフィラが、辺り一面に広がっていたり、サクラが一面に咲いていたりすると、子どもも「わあー綺麗」と言います。そのような風景を見たことがないからです。花を見るだけ、落ち葉を拾うだけで綺麗と思うのは、かなり高度な感性なのだということを感じています。孫も、ボタン園やシャクナゲ園では、興味を示していませんでした。まずは、池の鯉やカメが面白いらしく、松ぼっくりやドングリ拾いは自分からするのですが、早くブランコ乗りに行こうと言います。

 こんなことを考えながら、幼稚園児や小学生の遠足の様子を見ていました。少し前は、その中にいたことを、少し恥ずかしく思います。