履中天皇陵のサクラ並木 2019年4月7日(日)
晴歩雨読が365枚目になりました。前にも何度か書いてきているように、昨年の4月2日から毎日ブログに1枚ずつアップし続けてきて、一年が経ちました。最初の頃の4~6月は、それ以前から書き溜めてきた001号からアップしていたのですが、7月からは、書き溜めたストックがなくなったので、毎日書きながらアップをしています。約9か月、日々書きながらブログ記録を続けています。今のところ、途切れることなく続けられています。
ブログを書くためには、毎日行動しなければいけません。家でボーッとしているだけでは、書くことがなくなってしまうので、ブログを書くために行動をします。こぎつね小学校で先生をしている時、子ども達は毎日日記を書いていたのですが、「日記に書くことがない」と悩んでいる子どもには、「毎日行動的な生活をするのですよ」と言い続けていました。また、夏休みなど長期休みは、「日々お出かけをして、いろいろな場所でミニ自由研究を続けるのですよ」と言っていました。今では、自分に言い聞かせる言葉になっています。
今日は、再び古墳調べに行きました。まずは、位置関係を理解するために、百舌鳥古墳群の大きな6つの古墳の全てを歩こうと考えて行動をしています。今回は、百舌鳥八幡宮から、御廟山古墳、いたすけ古墳、履中天皇陵(南陵)の三つをつなぐコースを歩き、上野芝駅から電車に乗り家へと戻りました。これらの古墳の間には周遊路が整備されているのですが、グーグルマップを見ながらでないと、道を間違えそうになります。もう少し丁寧に掲示板を付けてほしいと思いました。奈良の山の辺の道は、とても丁寧に掲示板が付けられていて、地図を持っていなくても、間違えずに歩くことができます。
いたすけ古墳から履中天皇陵へと歩く途中には、堺市都市緑花センターがありました。無料で入ることが出来ます。有料にして、もう少しいい施設にしてもよいのにと思いました。どこかの大学の研究施設か植物に関連する企業との連携を図って、教育レベルにまで高めてほしいものです。市民ボランティアで運営しているような感じでした。もっと教育にお金をかけるような市になるように願いたいです。ちょうど選挙があるので、こんなことを考えました。
履中天皇陵の西側600mは、サクラ並木がありました。サクラのトンネルのようなみごとなサクラ並木でした。堺市に長く住んでいるのに初めて通った道でした。最近は、大阪市内はよく歩いているのですが、堺市内は殆ど歩いていないなと感じました。古墳の位置関係も、理解できていない状況でした。歩いて初めて、頭の中に地図が出来てきました。
お年寄りは、町の中をもっともっと歩けばいいのにと思います。そのためには、道を整備し、道案内の掲示や、地図をしっかり整備して、観光ポイントをつなぐようなコースをたくさん作ってほしいです。お年寄りが歩くと健康増進にもなり、経済も動きます。昔の伊勢参りや野崎参りのような、大きなブームができるといいのになと思います。堺市には、紀州街道、熊野街道、西高野街道、長尾街道、竹内街道などがあります。それらも生かすことができます。また、古墳をつなぐ道や、神社をつなぐ道は、街道と呼ばれていなくても、古代からの道です。まずは、古墳、神社、寺、街道、遺跡をつないでいきたいです。