古墳さんぽ  2019年4月4日(水)

 

 屋根と外壁の工事が続いていて、お出かけがしにくいのですが、昨日は2時間だけ歩きに出ました。2時間で9㎞ほど歩きました。遠くに歩きに行くと、行き帰りの電車にも時間がかかるので、家から家までの2時間コースです。

 自宅から少し南を通っている西高野街道を歩き、百舌鳥八幡宮でお参りをし、御廟山古墳、いたすけ古墳の横を通り、大仙公園へと行きました。大仙公園は大きな公園です。南の端から北の端まで歩いたのは今回が初めてでした。大仙公園では、サクラが咲き始めていて、今日は風が冷たいのですが、大勢の人たちがお花見に来ていました。堺市のホームページには、「大仙公園の中ほどにある「どら池」周辺は、ソメイヨシノやオオシマザクラなど約400本の桜が植えられ桜の園といわれ、満開の時期には辺り一面が桜色のベールに包まれ、幻想的なイメージで季節の移ろいを美しく演出します。」と書かれているようなサクラの名所です。

 昨日は平日なので、老人会や女性や子どもが多いのですが、シートを広げてサクラの木の下で食事をしていたり、記念写真を撮ったりしています。特にみごとに咲いている枝垂桜の大木の下は一番人気でした。今週の日曜の頃が満開のようなので、多くの人出があるでしょう。大仙公園からは、世界最大の古墳である仁徳古墳の横を歩き三国ヶ丘に出て、竹内街道を通って家に戻りました。古墳について、堺市のホームページで学んでみました。

 

▼御廟山古墳・・百舌鳥本町にある前方部を西に向けた前方後円墳です。平成20年に行われた宮内庁と堺市による発掘調査により、規模が墳丘長約203m、後円部径約113m、前方部最大幅約136mと測定されました。墳丘は3段に築かれていて、南側のくびれ部には造出しがあります。葺石と埴輪がありますが、埋葬の主体部の構造や副葬品などはわかっていません。周囲には盾形の濠と堤がめぐっていますが、最近の調査で二重の濠があることがわかっています。墳丘は陵墓参考地として宮内庁が管理しています。

▼いたすけ古墳・・百舌鳥古墳群のほぼ中央にある前方部を西に向けた前方後円墳で、周りには陪塚とされる古墳が数基ありました。5世紀前半に造られたとされ、全長約146m、後円部径約90m、高さ約12.2m、前方部幅約99m、高さ約11.4mで3段に築成され、南部のくびれ部には造出しがあります。葺石と埴輪があり後円部からは衝角付冑の埴輪が出土しています。台地の南端に位置しているため、濠の南側には大規模な堤が築かれています。この古墳は昭和30年(1955年)頃に住宅造成のため破壊されそうになりましたが、市民運動によって保存されました。当時、後円部から出土した冑の埴輪は堺市の文化財保護のシンボルマークになっています。

▼仁徳天皇陵古墳・・エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれています。上空から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されています。日本最大の前方後円墳で、北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、現在はその中陵・仁徳天皇陵として宮内庁が管理しています。前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約34.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されています。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっています。現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、鹿、家などが出土しています。昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕が出土し、古墳が造られた年代を知る資料として話題になっています。明治5年(1872年)には、前方部で竪穴式石室に収めた長持形石棺が露出し、刀剣・甲冑・ガラス製の壺と皿が出土しました。出土品は再び埋め戻されたといわれていますが、詳細な絵図の記録があり、甲冑は金銅製の立派なものだったようです。日本最大の前方後円墳にふさわしく、周囲に陪塚と考えられる古墳が10基以上あります。仁徳天皇陵とされていますが、日本書紀などに伝えられる仁徳・履中の在位順とは逆に、履中天皇陵古墳よりも後で築造されたことがわかっています。

 

今回歩いた大仙公園周辺の百舌鳥古墳群一帯は、世界遺産登録を目指している地域です。年々整備がなされてきているのですが、まだまだ観光客に来てもらって見てもらえるような状況ではないように思います。もし世界遺産登録がされると、奈良のように次第に観光地へとなっていくのかもしれません。元興寺周辺の奈良町も、昔は殆どお店がない住宅地でしたが、観光客が歩き始めてからお土産屋さんができ、レストランができ、街並みも整備されてきています。堺も、市の中央にすごい観光資源を持っているので、これから観光都市へと成長してほしいものです。大阪の万国博覧会に合わせて、発展するといいなと思います。市民会館の建て替えが進んでいるのですが、市民会館はこの大仙公園の池の横に建てるとよかったのにと、いまさらながら思います。