英語の学習 2019年4月3日(日)
4月になりました。今年は昨年と違って大学の講義を全て無くしました。また、理科の原稿も終わりました。自分のしたかったことが出来る時間が持てるようになり2日経ちました。まずは、整理からだと思うのですが、取り敢えず、これから進めていきたい英語の学習を始めてみました。英語は、これまでNOVAに数年間通ったことがありましたが、とても忙しい時期に行っていたので、個人学習があまりできなくて進歩しませんでした。また、ハワイ、サンフランシスコ、オーストラリア、アリゾナ、カナダ、ニューヨークなどへ行く機会も数年おきにあったので、その度ごとに英語の文章が読めるといいのにと思い続けてきました。しかし、旅行から戻ると、直ぐに目の前の子ども相手の授業があり、教育関係の出張があり、お便りやいろいろな原稿が次々にあり、英語の文章を読み続けることは到底できるような時間がありませんでした。
これから英語が読めるようになるにはどうすればよいのかについては、お金をかけて習いに行くことではなくて、自分で時間を作って進めるしかないなと考えています。常に英語の文章を身の回りにおいて、それらを読み続けると、いずれ少しは読み慣れてくるのではないのかなと思っています。
小学校で子ども達が日本語を身に付けていく様子を考えてみると、本を読んだり、日記を書いたり、教科書を視写したりしていました。いろいろな教科のノートに、毎日毎日、平仮名や漢字を使って書いていくことで、日本語を書いたり読んだりできるようになりました。また、子ども達が、自学する時には、教科書や参考書を見ながら、独自に学習ノートを創り上げていたなと思います。子どもが日本語を獲得していく過程を思い出しながら、英語の文章の読む力を付けていきたいと考えています。読むということだけでなく、ノートを作っていくような、学習過程が必要なのだと思います。1年生の時、「おもしろかった」と、簡単な言葉だけで書いていた子どもが、次第に内容について気に入った部分を書き出してコメントを書いたり、自分の考えや感想を書いたりすることが出来るようになっていきました。国語では、作者と言葉の共有、文章構成の理解など、読むことに合わせて書くことで、多くを獲得していました。
これまで自分自身も学生の間に、10年間も英語に親しんできている筈なのに、殆ど英語が読めないというのは、何を学んできていたのか信じられない状況です。高校、大学では、日本語は勿論、もっともっと英語の教科書を使いながら、学習を進めないといけないなと思います。最近は、英語は小学校2年生から学ぶようになってきました。目の前の園児、また、孫もその中で育ちます。英語が日常の中で当たり前にあるような生活になっていくかもしれません。ちょっと頑張ろうと思います。