私の読書 2019年2月17日(日)
何のために本を読むのかというと、子ども達のために本を読むということが目的の一つにあるように思います。アインシュタイン、ハイゼンベルグの生い立ちをまとめた伝記や、湯川秀樹、朝永振一郎さんなどのエッセイを、最近続けて読んでいると、これら量子物理学を作られた天才たちが、どのような育ち、どのような生活をされてているのかが分かります。これらの本を読んだからといって量子力学が理解できるわけでもないのですが、このような天才の人たちは、成長段階の生活の中で、どのように能力を発揮してきたのかを知ることができます。アインシュタインは、自分で数学を学びながら、相対性理論を書きあげています。湯川秀樹は、幼い頃から、漢籍の素読を、祖父から学んでいいます。教育者としては、天才の学び方を知ることは、大事なことだと思っています。
目の前の幼い子ども達の中に、将来、大活躍する科学者がいます。芸術家、スポーツ選手、作家に育つ人もいるでしょう。子どもの頃に、他の子どもと違った能力を発揮する人もいます。その年齢に合ったことをさせることは大切ですが、すぐれた能力を持った子どもは、他の子どもと違った能力の発揮の仕方があるのでしょう。今、NHKの朝ドラのラーメンの開発もそうですが、新しい分野を切り開いていく人は、その人が何を考え、何をするのかということがとても大切なことです。科学の進歩も、技術の開発も、スポーツの技も、将棋の勝負も、教えられるものではなく、全てその人が何を考え、どのように行動するかという、その人の中に培われた能力次第です。それらの能力は、企業の中の一員でも、商売でも、日常生活のあらゆる場面でも、発揮されるものだと思います。天才としての世界的な貢献でなくても、自分で考えて、新しい仕事の仕方、工夫した生活、新しい発想、面白い仕組みを進めていける人が多くいます。すぐれた能力は、幼い頃に大切に育てられるようにしたいものです。
年齢に必要な技能や遊びや知識とは何か、それをしていないと将来困るということもあるかもしれませんが、それ以上に、個性的な能力を発揮させる場面を創ることが大切です。先生から与えられる活動を、すぐに綺麗にできてしまう子ども、まったくできない子どもがあって当たり前です。それができるできないということによって、能力が優れている劣っているということでもないのです。すぐにできてしまう子どもには、さらにその子ならではのことをさせる必要があります。この時、指導者の能力、読書力、経験が重要です。また、できない子どもには、違う方法を考えさせ、その子に合った方法で表現させる必要があります。その時も、指導者の能力、読書力、経験が必要になります。結局、教師、また親は、いろいろな能力の多様性を知っておき、子どもがやりたいこと、やろうとしていることを、見守りながら支援できることが必要となります。すぐにできてしまう活動、また、できないで嫌がっている活動を、押し付けることが教師の仕事ではないということになります。
子どもの能力は、本当にすごいものがあります。幼い頃は、それらの能力の窓が全部開かれているように思います。その時、それらの能力を発揮させるような環境に子どもをおき、その子自身が行動しながら自分の能力を発揮できるようにさせていきたいと思います。ライオンのように、崖から我が子を突き落とすことまで必要はないのですが、究極の環境で、子どもがどのように考え、どのように行動するのかを見守る必要があるということなのでしょう。教師や親も、そのような究極の選択の生活をしながら、さらに教師は、多くの本からいろいろな可能性や多様性の研究をしておかなければなりません。
私は、もしかしたら、将来のアインシュタインを育てているかもしれないと思うと、本当に、今、この子達をどうしてあげるのが一番よいのか悩んでしまいます。この子は樋口一葉、この子は三島由紀夫、この子はダーウィン、この子はソクラテスとか、教師が思ってしまうと、子ども達に無駄な時間を使わせないようにして、個性的な育ちを大切にしてあげたいなと思ってきます。まずは、一人ひとりの存在に敬意をはらい、そこ子のすばらしさの発見をすることから教育を始めないといけないなと感じています。