大学の仕事を終えました  2019年2月3日(日)

 

 大学の出席簿の整理、成績を全て終えて大学へ提出しました。やっと、胸の中心にいつもあった大きなもやもやとした仕事を終えることができました。とても体が軽くなったような気がします。小学校の先生の時は、子どもの日々の成長を任されていたので、学習だけでなく、お出かけや、運動や、学級づくり、精神的な成長にも気を使いながら取り組んでいました。病気をしている暇もないような過酷な毎日でしたが、教育の場の全てが生活でした。

 大学は、非常勤の1コマの担当でした。大学の常勤の先生も、学生には自分の専門でしか関わらないので、大学という所はそういう1コマの関わりしかできない教育の場所です。学生を育てるということに関しては、これまでと同じような小学校的感覚を持ちながら、しかし、学生のほんの一部にしかかかわることができない大学教育の難しさを感じました。大学生は中学、高校の授業と同じように、生活科の先生、理科教育の先生、また、教職入門の先生として、多くの先生の中の一人として見ています。小学校教育の担任の感覚を持っている私には、学生の育ちに関して、やりがいや達成感をもつことが難しい仕事でした。流れ作業の一部分を担当しているような、また、バイキング形式のランチの一品のような感じがしました。

 本当は、大学の教師は、図書館の一冊の本であることが大切なのでしょう。大きな研究テーマを持って毎日を過ごしていて、その一部分を学生と共に進めることでさらに研究が進むというような場所が、講義の時間です。そのような大学の教育システムの中で、非常勤講師が学生と一緒に、「自ら創っていく学習」を進めていくのは、とても気力が必要でした。

 一週間会わない間の気持ちをつないでおく事が、一番の難関でした。学生は一週間の間に多くの先生と多方面の学習をしています。友達との遊びも楽しく、また、バイトで疲れたりしています。そのような一週間を超えて、印象に残るように気持ちをつないでいき、毎回の授業が連続性を持った学生主体の学習にしていくには、とても気力の必要な作業でした。こぎつね小学校の場合は、学級のどの教科の学習も同じように「子どもが自ら進める学習」「自分達が高め合う時間」が当たり前なので、大学のように一週間に一度、学生主体に切り替える必要がありません。3年間に5校ほどの大学で、学生達と授業創りをしてきましたが、難しさを感じる日々でした。

 今回終えた生活科の授業は、これまでの大学の講義の中でも、なんとか学生主体に進めることができたかなと思います。140人という大人数なので、教師側に多くの作業と、多くの女子大生に負けない気力が必要でしたが、学生達の一部は毎回の取り組みを楽しみながらつないでくれて、成長してくれたことが実感できました。人数が多いのはとても大変ですが、10人、20人の授業とは違うエネルギーがその中にありました。相互に学び合う学習では、多人数の良さが発揮されていて、頑張る学生が、それなりの学生に影響を与え、互いに高め合ってくれていたなと思いました。

 さて、今年度も3校の大学へ行かせていただいたのですが、それぞれの大学に、これで終わりたいと挨拶をしてきました。最後、1月に後期のこぎつね女子大の生活科の学習を終えて、ここでも終わりたいことを伝えて、全ての大学教育を終えることにしました。3年間、たくさんの資料を作ったり、いろいろな学生に出合ったり、教職教育の可能性を考えたりできました。いい機会を与えてもらえたことに感謝しています。これからは、自然教育に関した研究生活?に入りたいなと思います。