悩みながら生きていく 2019年1月14日(月)

 

 大学の講義は、あと二回で終わります。小学校の副校長を終えてから3年間で、5つほどの大学で多くの若者に出合いました。初等教育理科、生活科、教職入門、特別活動論、授業演習などに関わりました。大学院の授業で話をしたこともあります。すべて教職関係の授業なので、幼稚園、子ども園、保育園、小学校、中学校、高等学校の先生になろうとしている学生達ですが、このまま先生になってもいいものか、大学に来ている意味が見いだせないと、悩んでいる学生もいます。休みがちな学生ほど、悩み多い日々を歩んでいるようです。そのような学生が、時々このブログを読んでいますと書いてくれていたので、ここに、その返事を書いてみようと思います。

 幸せそうな20歳前後の学生達ですが、いろいろな辛さがあるようです。先生にこのままなっていいのか、教科書を読むだけの授業に耐えられない、欠席をするとすごく叱る先生がいる、バイトで稼ぎながら奨学金で大学に通っているなど、それぞれの辛さは、人には理解してもらえないものがあります。これは、大学の時代だけでなく、実は、先生になってからも、いろいろ悩みは続くものです。私が先生をしている時も、突然怒ってくる保護者がいたり、中には、訴えますよと言い出す人がいたりしました。また、暴走族や不良のグループに引き込まれそうな子どもがいたり、やくざな親が恐喝してくる、精神的にやんでいる親が包丁を持って学校に来る、子どもをひどく虐待している人もいたりしました。時には、子どもの母、また父が病気で亡くなられることもあり、あってはならないことですが、子どもが病気や事故で亡くなることもあります。学級の子ども達が、先生の言うことを全く聞かない状況も見てきています。先生に暴力的に突っかかっていく小学生もいました。先生をするということ、仕事をするということは、世の中のあらゆる出来事と、向かい合うということです。

 今は、天使のようなかわいい園児たちを見ているのですが、本当に幸せな時間です。それは、私が担任ではなく、補助の先生だからです。一人ひとりの家庭まで抱えた保育をしているわけではないからです。担任の先生は、しんどい思いをされながら保育をされていることでしょう。

 多くの人が集まるということは、それは社会の一部であって、いろいろなことが起こるということです。それを全てかかえた状況の中で仕事をするということです。しかし、そのような世の中の良くないことばかりを考えていると、何もできなくなります。今、目の前の子どもが、どのようにしたら幸せな時間、楽しい時間を過ごすことができているかということが、まず一番大切にすべきことです。大学生の場合、今、自分にとって一番いい過ごし方をするにはどうすればよいか、何をすべきかということをまず考えることです。嫌なこと、変な人、やりたくないことは、必ずあります。しかし、それが世の中です。それらを乗り越えながら、生活をするようにしなければいけないのです。近くのライフに時々買い物に行くのですが、お客様の声が、掲示されています。それを見ると、本当に腹立たしい、理不尽なことを書いている人の意見も、掲示されています。それも世の中の姿なのだろうと見ています。また、どこの大学でも、最近は学生が、授業評価を書きます。「わけわかめ、何をしているか分からない」と、評価が最低だけでなく、最悪と意見まで書いてくれる学生もいます。腹立たしいことですが、かつて子どもの教育のことで、訴えると言ってきた親もいたなあと思うようにしています。このような状況も、ほんの一部のことで、多くの子どもや学生、そして保護者は、一緒に学ぶことを楽しんでくれていたので、そこを生きがいとして教師は続けられました。

 教育は、本当に世の中の縮図の中での仕事だということを感じます。例えば、私がよくいく難波の繁華街には、あらゆる人がおられます。家がない人、すごいお金持ち、ほぼ犯罪に近い仕事の人もいます。それらすべての人たちの子ども達は、必ず小学校にきます。先生とは、あらゆる生活の子ども達を全て抱えて、教育、保育をしていくことになります。

 そこで、先生として生きていくのに大切になるのは、理不尽な個人批判につぶされないように、仲間と一緒に、子ども達が楽しめる教育をどのように創っていくのかについて、常に考え続けることしかないように思いました。その活動を通して、教育に向かうエネルギーを蓄えて、いろいろ困難な問題や、個人的な課題を乗り越えるしかないなと考えてきました。子どもが学習的に成長する実感を持たせることができること、また、日々の学習が楽しいということが重要です。家で辛い思いをしている子どもでも、学校へ来ると楽しい、ということがまずは大切なことです。次に、子どもが生活を語りながら、自分の身の回りの生活から学習を創る活動をします。自分の生活の中に、自分がこれから進む道、やるべきことを見つけさせます。それぞれ人の生き方は違うので、それぞれにめあてを持って、進めさせていくことが大切です。支援をしたり、相談に乗ったり、いいねと褒めてあげたりします。私のように、一人歩き、虫や花や岩石などの自然観察が趣味の人にとっては、大学生の趣味であるライブや追っかけなどは、理解できない生活なのですが、たぶん、どちらがよくて、どちらが良くないということではないと思います。ライブや追っかけの趣味の方が、世の中が活性化し、経済も動くのだろうと思います。楽しいし、生活に活気がでます。「人の趣味や嗜好を笑うな、貶(けな)すな」ということが、大切です。小学校でも、鳥の観察や、メダカの観察をしている子どもが、他の子どもたちや、先生から理解されないで、つらい思いをしている場面がありました。そんな時、火山岩の研究をしてきている私が少し支援できました。

 今できること、したいことを、個人でコツコツと時間を大切にしながら身に付けることが、生きるということかもしれません。私も、この文章を書くことが、何になっていくのかはよく分からないのですが、毎日書き続けています。したいことをやり続けています。長年身をおいてきた教育の現場から学んだ、教育の哲学を、少し書くことができたらいいなあと思って続けています。ずっと読んでくれている人がいます。それを喜びとして、書き続けようと思っています。