「ヘタな人生論より徒然草」を読む  2019年1月11日(金)

 

 荻野文子さんが書かれた「徒然草」の解説本ですが、現代の生活に置き換えて解説されているので、吉田兼好が書いたテーマをより具体化しています。自分の周りの生活の出来事をたくさん盛り込み、自分の思っていることもどんどん書き込んでおられて、読んでいてとても面白い本でした。こんな本の書き方もあるのかと思わされる書きぶりです。東進ハイスクールの予備校講師をしながら、多数本を書いておられて、「マドンナ先生」として有名な方です。河出文庫2006年初版

 本書は、次のような章立てになっています。究極の断捨離本です。

 

第一章「観る」世間という魔物の正体を観察する

第二章「つき合う」疎み疎まれずに人と付き合う極意

第三章「捨てる」あれもこれもの欲望をいかに捨てるか

第四章「暮らす」こころ穏やかに日々を暮らすために

第五章「高める」わが身を内から支える品性と教養の高め方

第六章「極める」別れがありいつかは死ぬ限りある人生をどう極めるか

第七章「生きる」自分らしく生きるためにつれづれの境地にあそぶ

 

▼15 いない人の話はやめようという勇気。

▼22 吉凶は人に拠るものであって、日によるものではない。

▼30 下賤な人の話は聞いていて驚くようなことばかりであるが、教養のある人は不思議なことは語らない。

▼31 文字に書き留めてしまうと定説になる。

▼44 真の達人は、自慢しない。

▼48 手を汚さない「批評」より、汗して働く「偽善」の方が善に限りなく近い。

▼93 何事も誠意があって、人を分け隔てせず、だれに対しても礼儀正しく、言葉数が少ないのに越したことはない。老若男女を問わず、みんなそういう人が立派なのである。

▼104 黄金は山に捨てよ、宝石は淵に投げ込め。

▼111 時代を超えて語り継がれる偉人は、世間の名声などという「相対的な評価」には初めから関心がなく、自らが信じる「絶対的な価値観」に突き動かされて生きている。

▼125 「衣食住」と「医療」が確保できているなら、貧乏とは言わない。この四つさえあれば本当は幸せに生きられる。昔から、賢人で裕福な人はまれである。

▼172 表面がすっきりまとまっている一方で、内面の輝きを放っている若者は減ったように思う。動くマネキンに見える人が多いのだ。学歴が高くなったわりに、目に涼やかな賢さが現われてこない。

▼186 なんのために勉強をするのか。「なりたい自分になる可能性を広げるため」「自分を救い、人を救うため」「天井を高くするため」たんに生活をするためだけなら、身長180㎝の人間には高さ2mの天井があれば事足りる。だがそれでは息苦しい。もっと天井が高ければ心に余裕が生まれる。兼好は、「自分を誇らないため」「人と争わないため」「高職や巨利をも捨てることができるため」という。学識は、自分の狭量さから解放され、高潔な価値観を得るために必要なものである。

▼188 親が、周囲の大人たちが、学ぶことによって得た「視野の広さ」をお手本として見せなければ、子どもに何を与えようと、彼らがそれを有益に用いることはない。われわれ大人の意識レベルこそが問題の焦点とされるべきである。政治家や官僚が私利私欲のために賄賂を手にし、司法に携わる者が法を犯し、大企業の幹部が社会倫理を破る。世に「賢い」といわれる人々の醜聞こそが、教育の価値を堕落させている。加えて、品性のない教師や、教養を欠いた親が、子どもたちに何を教えるというのだろう。

▼192 昇ろうとする者には「朝日の光明」の美が、譲り去ろうとする者には「落日の残照」の美がある。ところが、現代社会は、とかく「完全に整った状態」にしか価値を認めない傾向がある。不完全な状態は、醜いものとして軽んじられる。

▼208 遠く日月を惜しむべからず。ただ今の一念、むなしく過ぐることを惜しむべし。

▼211 標準的な生活をしている人の、一日の所要時間を実際に計算してみると、睡眠7時間、排便1時間、食事4時間、おしゃべり2時間(メールを含む)、通勤通学1時間で、合計15時間になる。残りの持ち時間は9時間で、この間に大人は仕事や家事や育児を、子どもたちは学業を行っている。

▼266 兼好は、「つれづれなる時間」こそが「人生の楽しみ」だという。実際のところ、仕事も交際も芸事も学問も、「すっかり捨てる」ことなどできはしない。ただ、健康をそこなうほどの過重な仕事は減らそう。気が滅入るような交際は避けよう。上達に胃の痛む思いをするような芸事はやめよう。心が虚ろになるだけの無機質な学問なら捨ててしまえ。そうして、自分一人の時間を捻出するのである。外出せず、会話もせず、テレビも見ず、ゲームも触らず、ただひたすら心を空っぽにして、頭に浮かぶ想念を自在に解き放つのである。これぞ究極のリラクゼーションである。そうするうちに、閑寂な時間を楽しみ始める。

▼269 「瞬間の閃き」が「普遍の哲学」に昇華され、「小さな想念の世界」が「大きな心的宇宙」に変わるとき、あなたも、兼好のように、「取り憑かれたようにもの狂おしい」境地に至るかもしれない。