生活の中に時間割を持つ 2019年1月9日(水)
冬休みが明け、久しぶりに電車に乗って幼稚園に行きました。朝5時45分に家を出て、6時の地下鉄に乗って難波に行き、6時30分過ぎの難波発の快速急行に乗って奈良の学園前まで行きます。電車を待つ時間も入れておよそ60分間、本を読む時間があります。朝の頭がすっきりしている時間帯なので、本がしっかり読めます。奈良のこぎつね附小に仕事に毎日行っている頃も、この時間帯に本を読んでいました。学生の頃は、2時間もかけて大学へ行っていたので、さらにたくさんの本が読めました。
冬休み、家にいる日が多くなると、いくらでも時間があると思うのですが、本が読めません。朝からパソコンの前に座ってしまうと、晴歩雨読の文章や、理科の原稿を書くことを優先してしまって、本を読む時間を取ることができません。また、午後から読もうと思うと、眠くなってしまいます。家にいると、読書の時間が減ってしまい、困っています。読まなければいけない必然性のない本を読んでいるので、進まないのかもしれません。ちなみに、村上春樹さんの本なら、食事の時も、お風呂の中でも、ずっと読み続けて、分厚い小説も一気に読んでしまっていたなあと思います。
読書と文章を書くバランスが良くないのかもしれません。仕事に行くということになると、通勤時間などで、どうしても時間が区切られてしまって、その時間を上手に使うことで、読書の時間を作っていました。家では、だらだらと長時間文章を書く時間に当ててしまって、その作業に疲れ切って、読書ができないということなのでしょう。動きながら、区切りながら学び続けるということが大切なのかなと感じました。文章を書く時も時間を決めてする方がよいのかもしれません。理科の原稿2枚とか、晴歩雨読A4で1枚とか、量を優先するのではなく、時間を優先するようにするとよいのかなと考えました。
先生をしていた頃は、学習には時間割があって、その時間割で過ごすことで、膨大な量の学習計画も進められていました。40分に集中して、6コマを毎日進めていました。1分も無駄にすることなく、めあてを持って学習に向かい、ふりかえりをして、学習を終えていました。国語も算数も理科も社会も生活科も体育も、また、パソコンの授業や、劇の練習や、遠足の話し合いも、そのリズムでしていました。すごいことをしていたんだなと、今考えると思います。生活の中では、一コマを50分として10分休憩、移動をするような時間割を持ち半日は過ごすとよいのかなと思うようになりました。そうすると、理科の原稿、読書、晴歩雨読書き以外にも、やってみたいお習字や絵を描くことも入れ込んでいくことができるのかなと思います。
大学へ今さら行って学ぶことはしませんが、大学へ学びに行っているつもりで、頭と体の動く間は、学習時間を持ちたいなと思います。手帳に、時間割を書くように、50分でする活動の予定を書いて行こうかな。