今年一回目のフィールドワーク 2019年1月5日(土)
昨日、1月4日に、今年初めてのフィールドワークに出ました。元日は親戚が集まり、2日は、キッチンの水漏れで一日中大騒動をして、3日は、子ども達から送られてきた年賀状に返事を書いていて、やっと4日になってフィールドワークに出ることができました。今年の目標では、二日に一回、フィールドワークに出ると決めたのですが、正月早々、実行できませんでした。でも、家庭の事は大切なので、そちらが優先です。晴歩雨読は、昨年の7月ぐらいから毎日書いていて、「きつねTのこぎつねだより」のブログに続けてアップできています。
年末に堺市の家から天王寺まで歩いたので、今年一回目のフィールドワークは、その続きの天王寺駅から始めました。天王寺駅~四天王寺~大阪城~天満橋駅の8㎞を歩きました。
▼四天王寺・・亀の池の横のセンダンの写真を撮りました。スズメとカメの写真も撮りました。カメは冬眠をしてなくて、甲羅干しをしていました。亀の池の横には、六時礼讃堂があり、お参りされている方がたくさんいました。「昼夜6回にわたって諸礼讃をするところから六時礼讃堂の名があります。薬師如来・四天王等をお祀りしており、回向(供養)、納骨等を行う当寺の中心道場でもあります。」と、説明があります。
▼熊野街道・・天王寺駅から熊野街道を北へと歩きました。大阪市内では、熊野街道は上町台地の高いところを通っていて、紀州街道は上町台地の西側の低いところを通っています。熊野街道は、ところどころに道標が建てられていて、「大阪天満八軒家から何キロ」と書かれています。谷町筋の一本東側の狭い通りですが、とても歩きやすい道です。空堀商店街の近くでは道が上下します。空堀とは大阪城を守るために造られた堀にあたります。
▼ホルトノキ・・銅座跡近くで、見ました。ホルトノキは、常緑樹ですが、枝の一番下の葉が順番に赤くなり落ちていくようです。各枝に一枚、赤い葉があるのが特徴です。変わった形の花が咲くようなので、見てみたいです。
▼銅座公園、銅座幼稚園・・ホルトノキを見た近くにありました。銅座とは、「江戸時代、銅はわが国の重要な輸出品であった。銅座(明和3年1766、設置)の役割は、まず銅山からの荒銅を当所で買上げ、当時大坂で技術を競っていた銅吹仲間に精練させ(住友銅吹所の項参照)、それを集荷して海路長崎へ回送するものであった。また銅の密売を防ぐため古銅類買上げの精細な規定がつくられ、銅器の破片に至るまで銅座が管理した。」と説明があります。また、銅座公園は、「大阪城の南側、江戸時代には鋳銅や銅取引をする銅座のあった場所に銅座公園があります。銅座には作業場のほかにも役所建物、倉庫などの施設が含まれており、実際の区域は現在の公園よりもずっと広かったようです。また明治時代には、内務省の薬園が置かれていたようですが、現在の公園にはそうした歴史を記すものはとくにありません。」と書かれたページがありました。
▼大阪城の花崗岩・・大手見附石 は、「横 11.0メートル 縦 5.1メートル 推定重量 108トン 表面露出面積 47.98㎡」と、とても大きい石です。小豆島から運ばれてきた石です。数年前、小豆島に行ったことがあるのですが、これらの花崗岩の石切場、積み出し港を見たことがあります。小豆島の北側にありました。大きな石を船に乗せて運んできたようです。大手門周辺の花崗岩には、黒いゼノリス(捕獲岩)が入っていました。
▼アセビ・・花のつぼみが出来ていました。もうすぐ咲くのでしょうか。少し早いように思います。
▼サクラ・・花芽が見られましが、しっかり硬いです。大阪城にあるサクラの標準木が、この前の台風で折れてしまったと聞きました。どうなるのでしょう。
▼マテバシイ・・ドングリの子どもが並んでいます。花が咲いてから一年後に、実が大きくなるようです。
▼ウメ・・暖冬のようなので、ウメも早く咲くのではないかと梅園を見に行きました。いくつかの枝には、もうピンクの花芽を見つけることができました。暖かい日が数日続くと、開くかもしれません。