『宮本常一が見た日本』を読んだ  2018年12月8日(土)

 

 佐野眞一さんが書いた本です。2001年10月25日初版。佐野眞一さんが、民俗学者宮本常一の足跡をたどって、日本各地を旅した宮本の調査の仕方や、各地に残した記憶や成果、宮本常一の生い立ちなどが、詳しく書かれた本でした。かなり前になるのですが、この宮本常一さんが生まれた周防大島に行ったことがあります。山口県で研究会があったとき、レンタカーを借りて、周防大島の宮本常一記念館に行きました。

 宮本常一は、1907年(明治40年)生まれです。天王寺師範学校を出て、泉南郡田尻尋常小学校、泉北郡北池田尋常高等小学校、泉北郡養徳尋常高等小学校、取石尋常高等小学校と、スタートは小学校の先生をしながら民俗学の調査を始めています。柳田国男と出会い、さらに渋沢敬三に導かれて、32歳の時小学校の教師を辞めて、渋沢が主催するアチック・ミューゼアム(後に日本常民文化研究所)に属しながら、日本各地の民俗学調査を行いました。58歳から70歳までは武蔵野芸術大学の専任講師を務めて、1981年、73歳で亡くなっています。天王寺師範は、大阪教育大学の前身ですので、私の先輩にあたります。ちょっと嬉しいです。小学校の先生をしていたというのも、ワクワクします。

 心に残ったところを書き出しながら、記憶に残していきたいと思いました。

 

◆民俗学とは、一言でいえば、日本人のふだんの暮らしはどうやって生まれてきたのかを考察する学問である。宮本はこの問いを胸に、輝くような笑顔と天下一品の聞き取り技術、そして親しみやすい物腰で日本じゅうを歩いた。宮本の訪問を受けた人びとは、日本全国を歩くことで蓄積された宮本の膨大な知識と、わけへだてのない話しぶりに、土地に伝わる伝承や暮らしのしきたりを、自ら進んで話した。

◆宮本は、メモと同じ感覚でありとあらゆる事物にカメラを向けた。その貴重な映像記録は10万点にもおよぶ。戦前から戦中、そして戦後は高度経済成長期からバブル寸前まで、日本の津々浦々を「記録する精神」を持って歩きぬいた宮本は、昭和を代表する民俗学者だったといえる。

◆宮本氏は渋沢敬三氏を心から敬愛してやまず、渋沢氏が創立し、宮本氏の若き日の生活の場であった常民文化研究所を、自らの分身のように大切にしていた。自伝的な名著「民俗学の旅」の中で、宮本氏は渋沢氏の言葉を引いている。「決して主流になろうとするな。傍流であればこそ状況がよく見える。主役になればかえって多くの物を見落とす。その見落とされたものの中に大切なものがあるのだ。人の喜びを自らの喜びとできるような人になれ。」云々。

◆宮本は73年の生涯に合計16万キロ、地球をちょうど4周する気の遠くなるような行程を、ほとんど自分の足だけで歩き続けた。その旅は、延べにして4000日におよび、とめてもらった民家は1000軒を超えた。一生の7分の1は旅から旅への毎日だった。よごれたリュックサックにコウモリ傘を吊り下げ、ズック靴で歩く姿は、しばしば富山の薬売りに間違えられた。柳田や折口らと親交を持つ一方、自らもすぐれた民俗学研究をものし、のちに宮本に決定的な影響を与える渋沢敬三が、「日本列島の白地図の上に、宮本くんの足跡を赤インクで印していったら、日本列島は真っ赤になる」と言ったのは有名な話である。

◆宮本は、民俗学に軸足をおきつつも、「学問」の世界だけで自足できる男ではなかった。宮本はあるときは卓越した農業技術指導者であり、あるときは離島振興に情熱を傾ける傑出したオルガナイザーだった。そして埋もれた地域芸能を発掘し育成することで、地域の活性化を図るプロデューサーであり、既成概念にとらわれない手作りの組織で若者たちに生きがいを植え付ける教育者でもあった。

◆宮本を敬愛してやまなかった作家の司馬遼太郎は、宮本を称して次のように述べている。「宮本さんは、地面を空気のように動きながら、歩いて、歩き去りました。日本人と山河をこの人ほど確かな目で見た人はすくないと思います。」

◆宮本が残したものは何か。その学問的業績については今後の評価を待たなければならないが、日本列島をひたすら歩いて、みて、聞いたフィールドワークの開拓は、鶴見良行氏の評価を決定づけた『バナナと日本人』や『ナマコの眼』を生みだし、中世民衆と社会史そして西日本と東日本文化の決定的相違への着目は、「網野史学」といわれる網野善彦氏の仕事に強い影響を与えた。そのことは本人たち自身も認めている。

◆学風は大きく違ったが、宮本は、民俗学を、日本という国土にすでに生まれた者、現存する者、そして将来この国土に生まれる者のための学問、と規定した柳田国男の正統的継承者だった。宮本は、われわれはどこからきて、どこにいて、どこにいこうとしているのかを、その力強い足跡でわれわれに示してくれた。宮本の残した膨大な著書と映像は、知と事実の稜線となってわれわれの目の前にくっきりとした文化の等高線を刻んでいる。宮本は日本に残る古い事象を探り、記録しながら、そのまなざしは明らかに未来を見据えていた。宮本民俗学は日本の将来の透視図ともなる未来学だった。    

 

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これまでに読んで、本棚にある本は次のようなものです。

『歩く巨人』       佐野眞一

『忘れられた日本人』 宮本常一  岩波文庫    1984

『ふるさとの生活』   宮本常一  講談社学術文庫 1985

『塩の道』        宮本常一  講談社学術文庫 1986

『庶民の発見』     宮本常一  講談社学術文庫 1987