大学生の自律的学習 2018年12月1日(土)
大学生の授業も、あと5回となりました。140人の学生を対象にしている生活科の学習も、終わりが見えてきました。大学生にも、奈良のこぎつね小学校の学習法と同じく、教育は教えるというのではなく、自ら学ぶということを伝えてきました。最初は、なかなか伝わりにくいのですが、まず、①自ら発信するモノやコトを持たせる(日記、朝の元気調べ、自由研究、独自学習)、②それらを互いに学び合う機会(相互学習)をつくることで、それぞれ、③自分の中や自分の身の回りに眠っていた財産に気が付いて、④個性的学びとして追究を始める、というように進めてきました。
これまで、自ら学ぶ機会を奪われてきた大学生は、とても可愛そうな状況だと思います。一番エネルギーと行動力のある中学・高校生が、8m四方の狭い教室に40人も詰め込まれて、先生からの一方的な多量の情報が伝えられて、テストされて、選別されてきている生活です。記憶力、処理能力の高い学生にはよいのですが、興味のないことには集中力を発揮できない学生にとっては、とても不利な状況です。
自分もその中にいて、その時はそれほど、その学習環境の異常さを感じなかったのですが、今は、とても問題だと思います。もっと教師が教える時間を減らして、主体的行動的な学習の時間を、個人に与える学習法が大切だと思います。文科省も、同じように考えていて、「生活科」や「総合的な学習の時間」を作っているのですが、学校現場では福祉や災害や祭りなど、「教師の善意から発想した教えたいこと」を、体験的に学習させる時間になってしまっています。自由度が殆どありません。また、各教科の教科書の中にも、理科や社会科には自由研究のページがあり、国語にも、調べようや物語を書こうなどのページがあるのですが、子ども達の個性的追究が生かされる実践がなされているとは思えません。その部分を飛ばしてしまう先生も多く、取り組みをさせても、書かせるだけ、提出させるだけで、発表・交流・個性的追究を育てるという取り組みができていません。個人の興味関心が、もっともっと追究できて発信できる時間が必要だと思います。「総合的な学習の時間」の使い方にはあまり期待できないのですが、少なくとも、各教科の学習内容の中で、学生がこだわりを持って自分で追究する内容を一年に一つ以上は持たせるべきだと考えます。算数でも、国語でも、理科でも、もちろん社会科でも、まず一つ、ここだけは詳しく自分で調べて学習を深めたという経験を持たせるようにすることです。
さらに、もっと突き詰めて考えると、例えば理科学習の一つの単元の中でも、「ここだけは個人のこだわりのある追究をした」と言える部分を持たせる取り組みが大切だと考えます。こだわりのある追究を、それぞれ全員が持ち寄ると、教科書以上の、素晴らしい学習の時間を創り上げることができます。教師は、教えなければならない内容だけは常に意識しておいて、それらが、子どもの持ち込む個性的追究の中で、議論されるように気を付けます。子どもが学びを創る、先生は、子どもの学びをつなぎ合わせて楽しい学習交流の時間を創り、文科省が示す指導要領の内容が抜け落ちていないか気をつけるという役目をします。
生活科の時間を、大学で進めました。私が教えたことは少なかったと思います。学生が身の回りの自分の生活の中に、多くの「生活の自由研究のネタ」があることに気付き、それを持ち寄り交流し、さらに、「生活科とは何か」について自由研究をして、子どもの頃の生活科の経験や、学習指導要領からのまとめや、ネットから調べた生活科などを持ち寄って学び合いました。ところどころで、小学校の授業風景や子どもが創る劇や朝の会の実際の様子を動画で見せました。学生自身から生活科へと近づき、さらに、自分の中にあるこれまでの生活科体験、友達が持ち込んだ生活科の事例から学び合い、次なる、教師としての生活科教育へと高めていくように学習を進めました。
これらの学習で一番大切な「教師としての取り組み」は、学習に向かう学生の意欲を、学習のふりかえりから読み取り、それをみんなに紹介することだと考えます。学習者の意欲の高まりを育てるのが教師の働きです。方向性の修正は、相互学習の中で、自らしていくようです。質の高い相互学習の時間をつくることで、独自学習がさらに深められます。気の強い学生は、授業中に発信することによって、自らのモチベーションを高めていくことができますが、気の弱い学生は、ふりかえりの中に書くことでしか、自らの思いの発信ができません。教師が一人ひとりとつながる手段が、ふりかえりです。ふりかえりを集めて、お便りにすることで、ふりかえり自体が学びの対象になってきて、学習が深まってきていることが分かります。講義も10回目になって、やっとふりかえりを書く意味も、理解してもらってきました。特に、学習から派生した自分の思いや経験を書ける学生は、これから伸びてくる力が感じられます。新しい生活科を創る先生に育つように思います。