日本橋駅からこぎつね女子大へ歩く 2018年11月27日(火)

 

 10日間ほど続けて、大学生のおたずねに答えていました。そのため、毎日書いている晴歩雨読のテーマに困らなかったのですが、全てのおたずねに答えてしまったので、「今日の晴歩雨読は、何について今日は書こうかな」と考える生活に戻りました。これは、決して困ったことではなくて、とても快い悩みです。晴歩雨読は、退職後、晴れたら歩いて、雨が降ったら本を読むというような生活をしたいなと考えてつけた造語です。晴歩雨読を書くためには、歩くか、本を読む生活をしていくことが大切だと考えています。

 今回のこぎつね女子大学の後期講義を終えると、これまで3年間あちこちの大学へ行っていた全ての講義を終えることになります。元気な間に、しばらく日本のあちこちへ行って歩く生活をしながら、その歩いた記録を書いていきたいなと思っています。フィールドワークの記録を書くことを楽しみたいと考えています。

 また、大学の講義を終えてすぐにでもしたいことは、本や資料を整理して量を減らしていくことです。たぶん、本が5000冊ぐらいはあるので、もうこんなにたくさんの本は必要ありません。これからは、虫や花や地形の写真を撮って記録をしていくような生活をしたいので、思い切って本を捨てていこうと思います。フィールドワークをしていくための、歩き関係の本と、自然関係の本を中心に残して、半分ぐらい捨てるとかなりすっきりすると思います。

 

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 今日は、日本橋駅から東へ、こぎつね女子大まで約7㎞を歩きました。これまで、大学へ行くときは、近鉄奈良線の布施から、鶴橋から、谷町九丁目から、またJR寺田町駅、玉造駅からと、大学までの距離を次第に伸ばしながら歩いています。今日の日本橋駅から大学へは、とてもよく知っている道なので、地図の確認もしないで1時間半でさっさと歩きました。歩くとパワーがたまります。歩いてエネルギーを充電してから大学へ出向かないと、140人の女子学生に負けてしまいます。

 日本橋の駅周辺は、難波界隈と同じく海抜3mほどの低地です。日本橋駅から東へと進むと、20mほどの上町台地へ登る坂道が最初にあります。自転車を押して登っている人がいるぐらいの急坂です。下ってくる人は、かなりのスピードで向かってきます。この坂は、上町断層の断層崖にあたり、もしこの断層が動くと、大阪の町は直下型の大震災となり、とても大変なことになります。坂道を登り切った上町台地の上面には、四天王寺や難波宮や大阪城を南北につなぐ谷町筋が通っています。その谷町筋を越えると、それまで登り坂だった道は、すぐになだらかな下り道となり、上本町、鶴橋へと下っていきます。鶴橋あたりで、ほぼ日本橋と同じ高さに下っているように思います。

 この道を歩いている時、気になったことがありました。上本町を過ぎて、鶴橋周辺に近づくと、街路樹がしばらくの区間、松の木になっています。上本町まではケヤキの街路樹なのに、なぜ、鶴橋手前のあたりだけが、松の街路樹になっているのでしょうか。松の木の街路樹は、大阪市内では、とても珍しいです。産湯稲荷神社が坂の途中にあって、その参道だったのでしょうか。ちょっと分かりません。

 鶴橋駅の下は、市場通りを歩きました。迷路のように複雑なのですが、何度も通ることで、およそ全部の通りを歩きました。昔ながらの市場の雰囲気を残している貴重な場所です。また、布施近辺では、浅草寺通りが興味深い道です。お寺なのに、鳥居があります。いつものように、布施のスタバで休憩してから、大学の講義へと向かいました。

 玉造駅からこぎつね女子大学へ歩いた時は、伊勢街道を通りました。寺田町から歩いた時は、桃谷駅の近くで、街中ですが、古くからある街道に出合いました。古くからある道は、小さな地形に左右されながらゆるやかな曲線で揺らいでいます。人が力まかせに真っすぐ造った道ではなく、町中の道でも、自然が造った柔らかさな感じがします。そして、昔からの歴史の数々がしみこんだパワーを感じます。

 次は、難波から歩いてみようと考えています。