東京の日本橋へ   2018年11月25日(日)

 

 昨日の「東京さんぽ」の続きを書きます。

 19日月曜日は文科省に行き、会議が遅くなったのでお泊りしました。20日、火曜日は、上野公園にある国立科学博物館でしばらく見学してから、12:50の新幹線で帰ろうと思っていました。しかし、国立科学博物館に行くと、何校もの高校生が入り口の所に集合していました。入るだけでも時間がかかりそうなので、入る意欲をなくしてしまいました。そこで、東京駅まで歩くことに予定を変更しました。小学校の先生をしていた時、京都の二条城や清水寺へ遠足で行き、大勢の小学生をつれて並んでいたことを思い出しました。静かに観光したい人たちに迷惑をかけていたのだと、今更ながら思いました。

 気を取り直して、西郷さんの銅像の前で写真を撮り、アメ横を通り、上野から東京駅まで4㎞を歩くことにしました。9時30分に上野公園にいるので、さっさと歩くと10時30分には東京駅に着いてしまいます。新幹線は12:50発なので、あちこちで休憩をしながら、ゆったり歩くことにしました。そこで、前から一度行きたいと思っていた、日本橋に行くことにしました。

 日本橋は、5つの街道の起点になっていて、また、現在の7つの国道の起点にもなっています。橋は、高速道路が上に通っているので、あまり立派には見えないのですが、周りのデパートやホテルや会社ビルのショーウィンドウは、とても高級な装いです。大阪の日本橋界隈とはかなり違います。

 橋の北側には、「東京市道路元標」の説明コーナーがあります。また、車が行き来している橋の中央に「道路元標」が埋められていて、そこが起点のようです。その場所は危険なので、その複製が橋の北側で見ることができるようになっていました。ネットで調べると、次のような一覧を見つけました。

国道1号線  日本橋~大阪市梅田       東海道

国道4号線  日本橋~青森市青い森公園   日光街道、奥州街道

国道6号線  日本橋~仙台苦竹IC           水戸街道

国道14号線 日本橋~千葉市広小路交差点 

国道15号線 日本橋~横浜市青木交差点   旧東海道

国道17号線 日本橋~新潟市本町交差点   中山道

国道20号線 日本橋~長野県塩尻市       甲州街道

 

 日本橋から各地への里程標が橋の横の石板に書かれていました。

札幌市1156㎞、青森市736㎞、仙台市350㎞、新潟市344㎞、

水戸市118㎞、宇都宮市107㎞、千葉市37㎞、横浜市29㎞、

甲府市131㎞、名古屋市370㎞、京都市503㎞、

大阪市550㎞、下関市1076㎞、鹿児島市1469㎞

とあります。

 江戸時代、各地の大名は参勤交代のとき、この距離を馬や徒歩で、江戸まで来ていたのだなと思いました。

 橋の両側の信号が赤になって、橋の上の車の動きが止まったので、隙間を縫って橋の中央の道路元標の写真を撮りました。次に、橋の南側には、日本橋観光案内所があったので、日本橋から各地に伸びる街道のパンフレットをもらえないかと思い入ってみました。着物を着た外国人の案内人がいて、「5つの街道のことを書いた地図はありますか」と日本語でたずねると、「それはありません。本屋にいけばあります。」と、たどたどしい日本語で教えてくれました。「その通りですね。」と答えてしまいました。

 11:40です。新幹線に乗るまでに1時間ほどあるので、珈琲タイムにしました。12時を過ぎると、一気に近くのビルから人があふれ出てきて、広い珈琲店の全ての席が埋まってしまいました。東京は、若いビジネスマンが多くいるなと思いました。

 東京二日目さんぽでは、東京大学三四郎池、不忍池、松の月、西郷隆盛の像、アメ横、日本橋へと歩きました。フィールドワークをして、今回もいろいろ新しい発見がありました。特に、自称ウォーカーとして、聖地の日本橋の起点を踏んだことは、少し感動です。やっと起点に立てたなと感じました。今日は、神田駅から日本橋の間は、中山道を歩いたことになりました。

 

 

▼昨日、11月23日のパリの会議で、大阪万博が決定しました。7年後、大阪で万博が開催されるようです。大阪の町も元気になるので、いいことだと思いました。特にウオーターフロントがきれいになることは、大阪にとって素晴らしいことです。関空、神戸、淡路島と、船が行き来することになるのでしょう。京都と大阪の船便、中之島や道頓堀や大阪城から海岸地域への船便など、水の都大阪が復活するといいなと思います。