晴歩雨読200号です  2018年10月23日(火)

 

 100号、200号記念とか、もうすぐブログ掲載1000編になるとか独り言を言いながら、これまでの晴歩雨読の記述を振り返って一人お祝いをしています。奈良のお寺も、興福寺は1350年、元興寺は1400年と、長く栄えてきたことを祝っています。また、日本100名山、200名山、300名山と決めて、登山家たちは山登りの目標にしています。お百度参り、千日回峰などの行の達成目標もあります。42.195㎞のフルマラソン、100㎞ウルトラマラソンなども各地で開かれています。身近なことでは、七五三参り、二十歳の成人式、還暦祝いなど、切りのよい節目のお祝いです。五木寛之さんは、百寺巡礼とか千所千泊という言葉を書いています。それらの多くは、自分で選択して自分で決めて自分で記録して、自分でお祝いをしないと、だれもしてくれません。

 学級担任をしているとき、お便りを書いてきました。堺市の公立小学校で先生をしている時から、学級だよりを書いていて、毎年、年間100号を目指すのですが、12年間のうち100号には一度も到達したことがありませんでした。いつも、80~90号前後で終わっていました。1学期、2学期は、調子よく出していても、3学期になると、学年末の研修報告書や理科部会の報告書などを書くのに時間がとられてしまい、学級だよりが出せなくなりました。

 奈良のこぎつね小学校に来てから22年間は、主に「学年だより」と「理科だより」を書きました。どちらも週に一回書いていたので、年間で40枚ぐらいです。赴任して最初の3年間、4年生から6年生卒業まで持ち上がった時は、お隣の担任と二人で交代しながら、「学年だより」を毎週一回出していました。次に1年生から6年間続けて持ち上がった学年の時は、卒業まで一回も休むことなく一人で「学年だより」を250号書きました。一人で学年だよりを書いた理由は、隣のクラスの先生が、「私のクラスにも配ってくれると嬉しいな」と、言ってくださったからです。理科専科教諭も長くしました。担任の時と同じように、週に一回「理科だより」を書いていて、これも3年間を二回書き続けたので、120号までを2回書いています。学級担任は、6年間と3年間、2回は続けて持ち上がりましたが、それ以外は、お休みされたり、急に辞められたりしたとき、必要な学年に派遣されるように1年間、10か月間、3か月間、3週間というように学級担任をしていて、そこでは「学級だより」を出せる範囲で書きました。こぎつね小学校最後の1年間は副校長をしました。そこでは、月に一度「学校だより」を書き、12号で終わりでした。退職後、幼稚園で自然担当の非常勤教諭をしている時、小学校から頼まれて臨時担任として1月から3月まで3か月間行ったときは、20号まで学級だよりを書きました。1週間に2枚ペースです。このようにこれまでの「おたより」を振り返ってみると、通し番号で一番続いたのが、6年間持ち上がった時の「学年だより」の250号でした。

 「晴歩雨読」は、今回で200号なので、まだ、最長記録の「学年だより『まほろば』」の250号を超えていませんが、2番目に長い、連続したお便りになりました。さらに、自分を励ますために何回も書いていますが、209号になると、ブログ「きつねTのこぎつねだより」の掲載エッセイが、1000編になります。今日は、200号続いた祝いとして、これまでの「おたより」を振り返りました。さらに、晴歩雨読209号のブログ1000編を目指し、そして、晴歩雨読250号で「学年だより まほろば」の最長記録を超えるようにしたいという「めあて」を持ちました。