学生の学び方 2018年10月6日(土)
こぎつね附属小学校の教員を終え、5つほ大学の教職科目で、大学生を教えました。大学生の学び方について、考えてみることにします。
まず小学生は、みんなで賢くなろうとする集団活動的な特性が、成長期の特性としてあるように感じます。集まって、より安全な場所で、基本的なことを身に付けて、生きていくための技能を習得するような時期です。社会の仕組みや、人との関わり方を学ぶ時期です。また、基本的な知識を身に付けたりもします。そのような基本的な学びを進める時期でも、生活から学びを構成していくような自律的な学習法を大切にします。まずは、独自学習を進めてからの相互の学習です。
高校生や大学生になってくると、それぞれの特性や個性がしっかり育ってきていて、集団で学ぶことの意味は次第になくなってきます。自分が目指す目的のために、より高度なことを学ぶ時期です。そんな時、一般的なカリキュラムに沿って、大人数が大きな部屋で、一方的に講義を受けているのは、高校生や大学生の学び方ではありません。もっと個人的に、また、小グループ的な学び方を進めるべきだと思います。図書館を有効に使いながら、図書館や自習室で学ぶことが必要なのかもしれません。どんな本を読んでいるか、学習を達成するための基本的な本を読み終えたのか、自分の理解をグループの人にプレゼンできるのかなどが、身に付けるべき学習力であるように思います。大学の先生が、基本的な本を数冊示して、それらを読んだ人が講義を受ける資格があるようにします。「独自学習を終えた人のみ、一緒に学ぶ生徒として探究を進めることができる」というようにしないと、大学生としての学びができないのではないかと思います。こぎつね小学校では、どんな学びも独自学習をしてから学びを始めているからです。また、講義の間に読むべき本をさらに数冊示して、講義は、それらを読み進めるための補助としてあるようにすべきかもしれません。時々、読むべき本をテーマにして、レベル別にグループを組んで、ディスカッションを進めさせて、読みの深さを競い合うようにするのも大切かもしれません。講義の15回の間に、専門書数冊を読んだというのが、大学生の学びであるように思います。たぶん、大学院の学習はこのようになっているのだと思いますが、学部生もこのような学習の入門的な学び方を進めるようにすべきだと考えます。学部生なので、文庫本、新書、月刊誌などでよいと思うので、古典的なものや、時代の最先端のものを大学の先生が示し、また、学生が見つけてきた本も取り込みながら、学習を進めるようにするとよいのでしょう。
自分の頭を使う学習をしないと学びになりません。自分で本を読む、自分で学びを深める、学んだことをまとめて聞いてもらう、おたずねをしてもらう、少し講義を聞く、再び学びを個人で深めるというような学び方です。
しかし、本屋がどんどん少なくなっていく現状を見ていて、このような学習が多くの高校や大学でされているように思えません。学生は殆ど本を読んでいないと言い切っています。いくらネットで本を買うようになったといっても、本を読まない学生が増えているのではないかと思います。これは、大学の先生が、怠慢であるからです。もっともっと本を示して、本を読ませるようにしないと、「文化としての知の構造」がなくなっていくように思います。自分達の職を、自分達で細らせているようになっていきます。本を読んで学んできた先達者の大学の先生が、「本を骨格としての学びの構造」を学生に示さないといけないと思います。
学校の先生は、自分が学んだ「こと」、知っている「こと」を、自慢げに、得意げに、何も知らない生徒に話をして、分からせるのを仕事と思っています。そんな人がとても多いように思います。そうではなくて、学び方を示して、学ぶ手立てを紹介して、知識は自分で獲得させて、見方・考え方は生徒同士で話し合わせて高めるようにし、さらに学ぶべき方向性を示すのが先生の仕事だと思います。