竹内街道を歩く   2018年9月24日(月)

 

 竹内街道は、中百舌鳥の我が家のすぐ近くを通っています。堺市の大小路から、三国ヶ丘、金岡を経て、松原市、羽曳野市の古市を通り、二上山の南側の竹内峠を越えて奈良県葛城市の長尾神社までの全長26㎞の道とされています。さらに奈良では、そのまま真っすぐ東の桜井へと続いていく横大路につながります。竹内街道を一気に歩ける人もたくさんいると思われますが、私は、3回に分けると歩くことができます。

 この竹内街道は、次のような意味で古代より重要な幹線道として整備されてきました。

①石の道・・・旧石器時代、石器の材料としてサヌカイト(讃岐石)をもとめて人々は二上山をめざした。

②文化の道・・シルクロードの終着点に向かう最終行程として大陸の珍しい文物がもたらされた。

③信仰の道・・太子信仰の中心地・叡福寺参り、大峰・高野・熊野・伊勢への参詣、西国三十三カ所巡礼。

④経済の道・・大和と河内を往来する商人たちによる物資交流。

 

 堺市の中心である大小路から我が家の近くの金岡神社までは、何度も歩いている道です。しかし、金岡神社から東は、まだ1度しか歩いたことがありません。そこで今回は、金岡神社から近鉄線古市駅までの10㎞を歩きました。10㎞という距離は、いつものトレーニングコースとして、家から天王寺まで歩いている距離と同じなので、たぶん2時間ぐらいで到着すると計算しました。家から天王寺へのコースをよく歩く理由は、地下鉄御堂筋線に沿っているので、途中で雨が降ったり、しんどくなったりしても、すぐに地下鉄に乗ることができるからです。また、今年の夏のように猛暑で長い期間歩けていない時、また、あまりに忙しくて歩けていない時の取り敢えずのトレーニングコースが地下鉄御堂筋線沿いの10㎞です。最近続けて、10㎞を歩いているので、今日もしっかり歩けると思いました。

 金岡神社の前を午後1時30分に出発して、大泉緑地の南を通過して、松原市を通って歩きます。途中、南海高野線北野田駅あたりから近鉄線松原駅へと南北に延びる中高野街道と交差する所があります。そこには、石の道標が建てられています。「右:ひらの、大坂道、 左:さやま、三日市、かうや道、左:さかい道、 寛政九丁巳年五月いせこう中」と刻まれています。1797年に立てられたもののようです。また、最近建てられた説明板には、「この付近は、その昔、茶屋筋と呼ばれ、伊勢参りの宿屋や料理旅館が立ち並び、多くの人々が行き交う場所でした。」と書かれています。

 この石碑の所で、歴史街道を歩いている団体の人たちとすれ違いました。旗を持った人を先頭に、たくさんの方が、写真を撮ったり、話をしたりしています。彼らは、中高野街道を歩いている人達でした。涼しくなってきたので、いろいろな企画の街道歩きの行事が、開催されているのでしょう。私は一人で、自分のペースで歩くのが好きです。

 松原市を通る竹内街道沿いには、立部遺跡があります。そこには、緑の一里塚の石碑が最近建てられています。「平安時代後期と鎌倉時代の丹南鋳物師の工房に関わると思われる多数の土坑、掘立柱建物跡、井戸跡などが発見されています。土坑は、鋳型や炉を構築するための粘土を採掘した跡と考えられています。その中からは、黒色土器椀や瓦器椀のほか、鋳物製造にともない排出されたと思われる多数の鉄滓や鋳型片、炉壁片などが見つかっています。大規模な変わりの鋳物師の工房が存在したことが推測されています。なお、この地帯一帯は、旧石器時代から近世に至る複合遺跡です。」というような説明板がありました。松原市は、南北の下高野街道、中高野街道、東西の長尾街道、竹内街道が井の字のように通っていて、古代からの一大交差点として賑わっていたことがわかりました。

 竹内街道は、堺市からほぼ真東の二上山へ向かって歩いていく道です。二上山では、旧石器時代の大切な道具である、石包丁や矢じり等に加工しやすいサヌカイト(無斑晶安山岩)という岩石が採掘されます。安山岩質溶岩が急冷されてガラス質になっているので、割り方を工夫して、鋭利な切れ味のある道具として使われていました。旧石器時代からの道として存在していたのではないかということです。また、この竹内街道は、飛鳥時代、飛鳥と古市古墳群と百舌鳥古墳群をつなぐ道であり、さらに大陸からの玄関口であった港と飛鳥をつなぐ重要な道です。

 この竹内街道は、川沿いの道、沖積平野の道ではなく、しっかりとした洪積台地上を通る道なので、洪水に流されて何度もルートが変わってきた道ではありません。おそらく、真東の二上山へ向けて、石器時代(コメ作り以前)から飛鳥時代にかけて何千年、何万年もの間、多くの人が、ひたすら真っすぐ歩いた結果としてできた道として、踏み固められてきているのでしょう。古代からの道もいろいろあって、田んぼのあぜ道から踏み固められた道、川の水路に沿ってできた道、村と村をつないだ道もありますが、それらの古代道に特徴的なくねくね感はあまりなく、力強くほぼ真っすぐに東へと続く、とっても長い歴史を持つ幹線道です。

 羽曳野市の古市の街に入りました。役所の所に街道の説明板があったのですが、広い道路の向こう側だったので、今回は見る事が出来ませんでした。古市駅に午後3時20分に到着しました。24分発の阿部野橋行き急行にちょうど乗ることができました。古市駅からはノンストップで、阿部野橋へと戻りました。10㎞を2時間で歩きました。歩くにはよい季節になってきました。