こぎつね生活⑮   2018年9月17日(月)

 

 15回の大学の資料の原本ができました。この資料に、毎回の学生のふりかえりを書き足して、講座を進めたいと思います。原本が出来ているので、昨年よりは、ゆとりを持って進めることができると思います。

 天牛書店で、3冊本を買いました。『アースダイバー』(中沢新一)、『断捨離』(やましたひでこ)、『混沌に息づく』(板橋興宗)です。持っているかもしれない本が2冊もありますが、取り敢えず今読みたいので、買ってしまいました。

買った本の記録、読んだ本の記録は、手書きでノートや手帳に書いておくようにしていたのですが、パソコンに打っておいて、これをブログに掲載しておくと、後ですぐに検索ができます。エクセルで一覧表にしているより、買った本の作者、書名、感想、書き出した文章、小さな断片の言葉でも、検索をかけるとすぐに記録したブログが引き出されます。これは、とっても便利です。思い立った時に、例えば村上春樹さんの本、谷沢永一さんの本、五木寛之さんの本、南方熊楠の本など、整理して一覧にしておくと、それも検索をかけると、一瞬に出てきます。もう、ノートに書く、手帳に書く、一覧表を印刷してファイリングしていく時代ではないようです。

 昨日の午後、家から住吉大社まで歩きました。9㎞ほどです。家から三国ヶ丘までは、竹内街道を歩きました。三国ヶ丘からは、けやき通りを北へ歩き、南海高野線の浅香山駅の横の踏切を西へと渡り、さらに阪堺線の踏切を渡ったところから紀州街道を住吉大社へと歩きました。紀州街道は、堺市より南へはほぼ和歌山まで歩いたのですが、堺市から北へも続いています。紀州街道の通っている大和川にかかる橋を渡ったのは、今回が初めてでした。安立の商店街を抜けて、住吉大社へと到着しました。紀州街道は、住吉大社からさらに北へ、ほぼ真っすぐたどると、難波の日本橋につながっています。日本橋から北は、堺筋線を北へ進み高麗橋へ至ります。住吉大社から北の大阪市内の道は、かつて歩いたことがあります。

 断捨離の本を読み始めました。「今の私が必要なものだけを残して捨てる。」ということです。過去でも、未来でもなく、今の私が基準です。整理、片付けの最終兵器は、捨てること。そういう目で見ると、身の回りの殆どの物が、何年も何十年も、開いたことのないものばかり並んでいます。戸棚、引き出し、本棚にしまわれています。

 

 

先生への道のり

 

 これから教職を目指すみなさんは、教職に関する授業の単位を全て取り、教育実習へ行き、さらに4回生の春から夏にかけて頑張って採用試験の勉強を集中してすれば、先生になれるかもしれません。しかし、その道のりはとても大変です。

 まず、教職の単位を取りながらの難関は、教育実習です。教育実習は、実際の子ども達を相手に、授業を1ヶ月間進めます。担任の先生の方針にもよりますが、私の場合、1週目は、担任の授業や学級指導を見てもらい、毎日の放課後、一日のふりかえりをしながら、今日はどんなことを学んだのかについて整理をさせます。そのため、一日の全ての授業や指導は、メモを取るようにさせます。メモには、先生の発言や行動、子どもの発言や活動の様子、時間配分、板書、授業の環境や準備などをできるだけ詳しく書き取るように言います。2週目からは毎日1時間、3週目は毎日2時間、最後の4週目は、朝の会から終わりの会まで終日の授業や学級指導の全てを担当します。授業だけでなく、毎日の子ども達の日記を読んで返事を書いたり、子ども達の学習ノートのふりかえりを読んだり、ドリルの○付けをしたり、次の授業の教材研究をして指導案を書いたりと、3、4週目は、慣れない学生のみなさんは寝る暇もない程です。教育実習では、どの学年、どの教科、どの単元を担当するのかは、全く予想がつきません。教育実習に行くまでに、基本的な教育観、授業論、指導法、板書の書き方、教材研究の仕方、指導案の書き方、指導要領の内容の理解など、いろいろ身に付けておく必要があります。私自身も、自分の教育実習の時は、とても大変だったなあと、今も思い出します。

 教育実習では、担任の先生が教室の後ろに居られるので、子ども達は実習生の授業でもなんとか分かったようなふりをしてくれます。困った行動もあまりしません。どうしても授業が途中で止まってしまっても、担任の先生が少しは手助けをしてくれる場合があります。私は、そのまま見ていて、放課後のふりかえりの時に、どこがいけなかったのか、考えさせるようにします。教育実習は子どもの貴重な学びの時間でなされるので、それまでの大学での基本的な学習が問われます。「実習生の皆さんは、現場をなめてはいけない」というのが、学校の先生がまず言いたい事です。

 次に大変なのは、教員採用試験です。一般教養、教育法規、各教科の内容、学習指導要領の理解、子どもの指導などに関して、筆記試験があります。また、テーマが決められた小論文もあり、1000文字程度に自分の意見をまとめなさいというようなものです。小論文に向けては、これまでの過去問を見て、いくつかのテーマで書きためておくことが大切だと思います。さらに、水泳、ピアノ、歌、絵を描く、機械体操などの実技試験もあります。奈良女子大学の学生で、実習担当をした学生も、小学校の夏休みに、水泳や跳び箱やマット運動やピアノなどを、小学校に何日も来て練習をしている人がいました。最近の採用試験には、模擬授業があり、その場で与えられた単元の導入部分を10分ほど面接官の前でするという試験です。また、個人面接では、数人の面接官から、教育内容、子どもの指導、教育法規、最近の教育問題などについて聞かれたりします。さらに集団面接があるところでは、一つの課題について職員会議のように受験生が意見を述べ合い、教育の方針を考え合うという事もします。うかうかしていると、何も言わないで集団面接が終わってしまいます。

 以上のように、みなさんは、過酷な教育実習を済ませて、さらに、教員採用試験に合格して初めて、先生になることができます。これからの2回生、3回生で、基本的な技能や知識を全て身に付け、4回生の夏休み前にある教員採用試験を受けることになります。また、最近小学校でも英語が教科になってくるので、英語の力は特に採用試験の時に問われると思います。真剣に取り組んでおいてくださいね。

 このようにして、無事、採用試験もパスし、各府県の教育委員会から合格通知書が届くと、卒業をしてすぐ、4月から学校の現場に立ちます。会社では、新任はコピーとお茶くみからという部署もあるかと思いますが、学校は、担任として、4月8日には、一人で教室に立つことになります。ベテランの先生と一緒に組んで、新任は少しだけ授業をするのではなく、ベテランの先生と同じ仕事をします。子どもは、若い先生なので、最初は期待をしてくれますが、話し方、指導、教材研究、板書、指示などすべてが下手なので、次第に子ども達の心が離れていく場合があります。学級崩壊となり、学級の中で先生の指示が通らないようになります。親は文句を言ってきて、さらに子どもの心が担任から離れます。よくあることです。若い女の先生には、お母さんはとてもきついのです。

 そのようにならないためにはどうすればよいのでしょう。先生に、子どもから見た人生の先輩として魅力があることがまず大切です。さらに、技能や特技や知識や優しい心をたくさん持っていることも、子どもには魅力的です。授業を、楽しく、本当にいろいろ工夫できる先生は、子どもはとても好きです。先生は、漫才師ではないので、面白いことを言うのが仕事ではないのですが、子どもにとって長い授業時間が、楽しい時間であることが重要です。授業が楽しければ、若い、ベテランは、あまり関係がありません。安全に配慮しながら、楽しい学習場面を毎日工夫して子ども達に体験させられる先生が素敵です。 

 では、みなさんはこれから何をすればよいのでしょう。教育実習まであと2年、採用試験にもあと2年と少し、現場に立つまでに3年です。教育実習、採用試験に向けての取り組みだけでなく、もし、教師になった時、子どもと共に、学び続けられる先生になれるかが課題です。例えば、生活科では街たんけんに出て地域研究、理科では自然の観察や理科室での実験、国語では文学研究や作文指導、算数の多様な指導法、社会科の歴史や産業調べ、パソコン指導、英語指導など、いったい先生になる皆さんは、どう進めるというのでしょう。今、目の前の大学の学習にも、積極的に取り組めない人、手を抜く人、いい加減にしてしまう人は、先生になってほしくありません。その感覚を、子どもはすぐに感じ取るからです。これまでの小学校から大学までの先生は、皆さんがきちんと育ってほしいと願い、ちょっといい加減な子どもや、手を抜く学生にも、「頑張れ、早く目を覚ませ、いい大人になってほしい」と、いらいらする気持ちを我慢しながら育ててきました。それは仕事だからです。どの子にも平等に、また、サボり気味な子どもにはさらに手厚く接してきました。それは、可能性をつぶしたくないからです。

 しかし、プロの教師として給料をもらうようになると、みんな自分の仕事に集中します。基本的には誰も手伝ってくれません。教師として情熱や能力や知識のない先生では、生活科で町探検に行っても、地域の人はまともに対応してくれません。みんな忙しいからです。教室の中でも一緒です。学級の子ども達は、本当はとても賢いのです。親も、自分(教師)よりもずっと賢いです。真摯に子どもの教育に、そして学ぶことに向き合えない若い先生では、まず、賢い子どもと賢い親の心が離れます。学び上手な子ども、学び支援の上手な親の力を、授業の中で使わせてもらうことができません。賢い子ども達の心が学習から離れてしまうと、もう授業どころではありません。深い学びも、子どもの探究も、自由研究発表も、まったく成立しなくなります。結果的に、叱りつけて、力で抑え込んで、教科書を教え込んで、テストで脅しをかける先生になってしまうのです。これでは、将来の夢のある子どものこれからの成長が、その時点で止まってしまいます。東大やハーバードなどで学び、世界にはばたく人材を、小さい時につぶしてしまうことにもなります。著名な文学者、技術者、政治家、学者、芸術家、スポーツ選手などになる可能性がある子どもが、自分の学級には絶対にいるものです。私は、ずっとそう信じて、クラスの子ども達を尊敬し、大切にしてきました。学級の子どもたちが、自分の可能性を発揮し、個性的に育つ環境を作るのが先生の仕事です。年賀状に、「大学の理学部で実験をしています。小学校の頃の実験がなつかしいです。」と書いてくれるかつての子どもがいます。東京大学工学部の学生もいます。東京大学医学部の学生もいます。この子は、大学院でハーバード大学へ行こうか悩んでいます。京都大学の理学部にも、二人も進学しています。たかが小学校の先生が行う、小学校の生活科や理科や国語や社会や算数の授業ですが、こんなにも賢い子ども達が実はいたのです。子どもの成長を邪魔しない先生にならなければいけません。子どもに、無駄な時間を過ごさせてはいけません。賢い子どもが賢く伸び伸び育つ学級でなければいけないのです。これらの環境作りには、とても難しい技術が必要になります。講義の端々に、いろいろ技術を盛り込んだつもりです。皆さんは、38年間、現場で「子ども主体の教育」を進めてきた「きつねT」から、少し技術を身に付けることができましたか。たかが小学校の先生、されど、明日の世界の人材を育む環境を創る仕事のプロです。 

 子どもと一緒に学び続けられる先生になりましょう。子どもより一生けん命、追究する先生になりましょう。その姿を見て、子どもは育つのです。教えるのではなく、学びの姿を伝えるのです。

そのためには、みなさんは今の間に「学びのプロ」になる責任があります。楽しい学び方、学びのおもしろさ、新しい学びへの新しい取り組み方を大学の間に身に付け、子どもと共に学び続ける先生になってくださいね。

 

 

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こぎつね達へ

 

 今日で、生活科の学習が終わります。

 

 伝えたかったのは、子どもの一人ひとりの個性的な探究を育てることが、学習で一番大切であるということです。生活と学習をつなぎ、学習を生活へとつなぎ、全生活の中で学びを進めることです。学習時間だけの学びにしないことが大切ですね。そうすると、友たちの学びや、先生の学びが、学びの対象になります。「先生が、学びの対象になる」ということが、少し理解できましたか。

 

 先生という仕事は、「自分は学び続けられるか」ということと深くかかわってきます。毎日が探究的な生活をしていける体力と気力と、規則正しい生活が必要です。なぜなら、学校という生活は、規則正しい時間があるからです。そのため、先生には自由はそれほどありませんが、子どもとの学びの時間は、とても楽しい時間です。子どもと共に、個性的な学びを続けてください。

 

 きつねTは、今年で、大学の講義も全て終えようと考えています。日本中を歩き、また、時には国外へも出て歩き、これまでの「こぎつねさんぽ」をさらに深め、楽しみたいと考えています。これからも、「きつねTのこぎつねだより」や「こぎつねさんぽに出かけよう」のブログに発信していきます。みなさんが、先生になったら、子ども達や保護者にも、きつねTのブログを紹介してくださいね。自然観察、理科教育、地形教育の観点で、ブログを書き続けます。先生や子ども達の、自由研究のテーマ探しのヒントになるかもしれません。

 

          子どもの良さを見付けて、ほめて、育てる先生になってくださいね。

 

                                       きつねT

 

<今日の学習>

1.こぎつね理科を読む。

2.ふりかえりを書く