流されゆく日々 2018年7月6日(金)
五木寛之さんの『流されゆく日々(抄)1988~1995』(384P)を読んでいます。たまたま天牛書店で見つけて、200円で買いました。五木寛之さんの日記であり、エッセイであり、時代を記録した現代史とも言えます。「日刊ゲンダイに20年間、連載5000回に迫る」「作家生活30周年記念出版」と帯には書かれています。たしか家の本棚には、並んでいたような気がするなと思いながら買いましたが、今回は、幸運にも二冊セットの後半の本を買ったことになります。ダブって買ってしまうことを、最近何冊かしているのですが、今回はダブり買いにはなりませんでした。二冊揃って、とても嬉しくなりました。
第一冊目は、1975年~1987年(444P)、今回買ったのは二冊目で、1988年~1995年(384P)です。二冊合わせると20年間になります。この二冊の本には、日刊ゲンダイに掲載したすべての文章が載せられているのではなくて、5000回書かれたところから選抜して本に掲載されています。新聞に掲載の1回分の記事がこの本の1ページぐらいなので、全ての文章を掲載すると5000頁の本になります。本は二冊で合計828頁なので、20年間毎日書かれた文章の6分の1ぐらいです。A4で一枚を20年間書き続けると、5000頁の本になるということです。
「毎日1回分ずつ書いてきた。ほとんど1日のストックもなく、毎晩、翌日に発売される紙面のための原稿を、国内はもとより世界各地からFAXで送り続けたきたのだ。この、原稿のストックを要求しないというところに、日刊ゲンダイのつよさと魅力があるように思う。とにかく未明までに原稿を入れさえすれば、その日の午後にはキオスクでその文章が売られているのだ。もちろん、そんなサーカスの綱渡りのようなきわどい仕事がきょうまで続いたのは、創刊以来、じつに20年にわたって担当してくれているA氏や、編集スタッフの忍の一字あってのことではあるが。」と、記されています。帯に書かれているように、本当に「流れる季節、流れぬ記憶・・流されゆく日々」の本です。
巻末に、それぞれ1年に書いた、すべての文章の表題が載せられています。例えば、平成5年(1993年)には、五里霧中(1・05~09)、ちょっとオメデタイ話(1・12~15)、不景気風はどこに吹く(1・19~23)、拝啓、田原総一朗様(1・26~30)、六十代をどう生きるか(2・02~05)、二人の詩人にふれて(2・09~13)、切り抜き帳の片隅から(2・16~20)・・・と、整理されています。このように1975~1995年の全ての文章の表題が、一覧になっています。この一覧を見ることで、読んでみたい文章、例えば84年3月2日~10日「二上山から熊野への道」という文章を探すことができます。この文章は、集録されていました。また、上記の「六十代をどう生きるか」を読んでみたいと思っても、残念ですが掲載されていないものもあります。自分の「きつねTのこぎつねだより」のブログに、学年だより「まほろば」や理科だより「まほろば科学館だより」や「学習研究誌論文」などが、この本と同じような一覧に整理できているので、よかったなと思いました。
さらに、文章表題一覧の後には、人名・活字(書名や主な言葉)・映画・音楽・演劇に分けた索引も作られています。取り上げられた人名がとても多いのには驚かされます。
年間250回(枚)書いて20年で5000回です。土日祝を除いた平日の250日間、毎日書かれたという計算です。
昨日の晴歩雨読に書いた、金剛山の登頂回数に引き続いて、回数のことにこだわった本の記録になってしまいましたが、A4一枚、年間250枚書くと、20年で5000枚になるということです。登頂の5千回、1万回は、私にはとうてい不可能ですが、これから20年間、晴歩雨読を書き続けると、5000枚にはなるということが分かります。五木寛之さんは、20年間、あらゆるところへ動かれて、いろんな人に出合って、行動的な生活をされています。これからの60~70代の20年間を大切に生きたいと思いました。
▼記録的な高温が続いています。熱中症で病院搬送されている人がたくさんいます。亡くなっている人もいます。京都は、最高気温を更新しています。
▼新しい、トレッキングシューズをモンベルで買う。街歩きに使いたい。